おくりもの

第八矯
第五倫 1.2
第五訪

劉敬の策によって移住させられた斉田氏の一族に第五・第八氏がいます。
第五倫は三公にあり貞白と称され、第五訪は循吏として人々から賞賛されました。
後漢書、後漢書集解から彼らの事跡を拾ってみました。
誤訳あるかと思いますがご容赦を。

後漢書逸民伝第七十三
ほう


徳公は三国志で有名な統の従父で、諸葛亮の姉が徳公の息子に嫁いでいます。
彼は飄々と暮らしながらも、司馬徽・徐庶・諸葛亮・統など有能な人材を排出し、
孫の代まで家は人々に慕われました。
誤訳あるかと思いますがご容赦を。


後漢書列伝第七十四
列女伝

がんもさまのサイト【三国志の広場】に贈ったお話。
後漢書で始めて列女伝が立てられ、以後継承されてゆきました。
その中から、後漢〜三国に絞って伝を訳してみました。
誤訳あるかと思いますがご容赦を。


後漢書列伝第七十四
董祀妻伝より

しまみおさまのサイト【水華庵】に差し上げたお話です。
『後漢書』の列伝の中から、有名な蔡えんの悲話を取り上げてみました。
後漢末期の董卓の動乱で匈奴にさらわれ、悲惨な毎日を送った蔡
曹操が中原を統一すると財宝で買い戻され、匈奴で生まれた子どもとの永遠の離別・・・。
「この青空よ。何の罪があって私をこんな目に遭わせるのですか。」
動乱に巻き込まれたか弱い女性の一生を追ってみました。


來家って?

ぐっこさまの【三国迷ぐっこのHP】に管理人が投稿したものです。
三国志モノです。


陸家って?

またまたぐっこさまのさいとに投稿したブツです。
神代から春秋戦国、そして秦漢三国晋へと続いております。


陸家詳細系図

陸家系図、さらに唐代(!)まで延びております。
出展は『新唐書』卷七十三下 表第十三下 宰相世系三下です。
相変わらず、真偽のほうは不明。他家の宰相世家表が胡散臭いし・・・。


中山王系図

一説では劉備のご先祖さまとも言われる中山靖王劉勝。彼は景帝劉啓の息子にして武帝劉徹の庶兄。そして彼自身120余人の子宝に恵まれた猛者。
兄の趙王劉彭祖と仲が悪く、兄には「兄者は役人に仕事を任せないで自分でやっておられる。王者たるもの、日々音楽を聴き歌舞華麗を事とすべきである。」と言えば、兄彭祖は「弟はただ奢侈淫楽にふけり、天子を助け百姓を手なずけようとしない。弟は藩臣とは言えぬ。」と言い返す始末。
そんな中山王の子孫を探ってみました。



戻る