背坂峠 2006.06.10

 以前からの念願だった背坂峠踏破、ついに果たすことができた。
5月に踏破した本名荒井さんのアドバイスもあり、無事帰還できた。感謝!

■注意■
この道は廃道です。熊よけなど装備は十分にしていきましょう。
また遭難の危険もあります。1/25000地図は携帯しましょう。


5/20親友T氏と栗子隧道に到達し、T氏は2003年の敗退の無念を晴らした。
その勢いでT氏と6/10再び背坂峠踏破へと旅立った。
かつて砂防ダムまでは、T氏と来ており、その先の満沢鉱山跡へはまるだし氏と来ている。
今回は重機・ダンプが鉱山跡まで入っており、道はきれいに整備され私の2WDの軽自動車でも入ることができた。
ただし、底はするし泥濘がありスタックしないよう気をつけなければならなかった。


背坂峠は太古の昔に出来た向町カルデラの外輪山の窪みに位置し(隣に鬼首カルデラがあり火山地帯であることが解る)、
近世に入り仙台領と最上領を繋ぐ峠道として栄えた。
さらに近代、峠の麓で満沢鉱山が栄えたこともあった。
地元の方曰く、今は殆ど通う人もおらずひっそりとしているという。
長年の夢であった背坂峠にいざゆかん。





なんと、満沢鉱山跡の終点、背坂峠入口まで車で来ることができた。
相変わらず物凄い藪。
どうも峠道への取り付き口が失われているらしく、我々は写真上部の杉林をまっすぐ突っ切り峠道に取り付いた。



峠道は比較的きれいに残っている。
鉱山側は植林杉、山側はぶなと奇麗にわかれている。
味わいのある古道だ。



きれいな九十九折。一気に標高をあげる。
ここから自分の車が見えた。



美しい森。
自然地形のまぎらわしい偽分岐があり、ちょっと怖い場所であった。



背坂川の源流付近斜面へ出ると、日を浴びた植物たちの大歓迎を受ける。
ぐえー。



藪に埋もれるT氏。ここが一番酷かった。
相変わらずの軽装。鈴やナタは私が先頭で振るっている(^-^;;



先に森が見えてきた。
やっと藪ともおさらば。



森の中には切り通しが残されていた。
このあたりにはギンリョウソウが多く生えていた。



人馬がこの切りとおしを通ったかと思うと感慨深い。



その先は穏やかな古道となる。
美しい原生林。



このあたりも偽分岐がありちょっと迷った。
迷ったときは必ず地図を確認する。


これは切り通しというよりか、雨に洗われたというべきか・・・
通り抜けに難儀した。



再び藪。
森が切れると藪になる。



ぶなの巨木に出会う。
根元は空洞化が進んでいたが、枝には新しい葉をつけていた。
この峠道をずっと守ってきたのだろうか。



再び美しい古道へ変わる。
ため息の出そうな美しさだ。



そして、遂に到着。
背坂峠だ!



峠には馬頭観音とお地蔵さんが居る。
杉の巨木に守られる姿に感動する。
お地蔵さんは日本人の優しさがよく表現されているような気がする。



馬頭観音と石碑に刻まれている。なんと安政二年のものらしい。150年程前のものだ。
安政二年(1855年)といえば安政大地震や日露和親条約調印の年である。
東京都青梅市の松ノ木峠にもあったが、古い峠には馬頭観音の石碑がよくある。
末永く残って欲しい。



横からみるとこんな感じ。杉が覆いかぶさっている。
一番奥のお地蔵さんは体が無く、石を二段積んだ上に頭が置かれている。
嵐で流されてしまったのかな?
置いた人の心が伝わるようだ。

ごみは一箇所に片付けられていた。本名荒井さんがやってくれたのかな?
お金が散らばっていたので、拾って石碑の前に置いた。

大休止を挟んで、来た道を戻ることにした。
いやはや、素晴らしい道であった。



ぶなの巨木の辺りから、最上町が一望できた。
まさにカルデラだ。



無事生還。少なかったがすでに虻が発生していた。
すばやく着替えて脱出。



車を止めた場所から最上町を望む。
背坂峠は、また訪れたい場所のひとつに加わった。