栗子山塊(栗子峠)越え 2005.11.05

 今回は私のスケジュールがなかなか決まらず単独での栗子山塊越えとなった。
太腿を負傷したり、獣に威嚇されたりと単独行の恐ろしさを充分知った。
反省すべき点が多い山越えであった。

■注意■
栗子隧道の上の稜線を越えるといっても、登山道はありません。常に遭難・滑落等の危険が付きまといます。
入山には十分注意してください。滑落すれば死は免れられません。
怪我をしたり獣に襲われても誰も助けに来ません。携帯電話は栗子隧道前と稜線付近で入ります。(NTTdocomo)


栗子隧道が閉塞しているならば、その上の奥羽山脈を越えてしまえばいいではないか。
という短絡的な思考回路を持つ私は、いつか栗子山塊を越えて万世大路を歩き通したいと願っていた。
そして、ここを明治時代に越えた人物がいるという事実も私の願望をさらに膨らませていた。
明治七年、明神峠(私の越えた鞍部、もしくは西栗子トンネル脇か)を越えて米沢側に到達した立岩一郎の一行である。
私は彼らに続くことができるのだろうか・・・

 (2006年11月追記)
 どうやら私の越えた鞍部は栗子峠と呼ばれているようで、西栗子トンネル上の鞍部は明神峠というようだ。


急遽土曜代休が取れることが決まり、レンタカーを借りて荷物を纏めて自宅を出たのが20:30。
東北道をひた走り、東栗子トンネル前で車中泊。ここで寝るのは何度目だろうか。
車中泊では酒を飲まないと寝付けないので、がぶ飲みして熟睡・・・。

目が覚めると、空は微妙に曇っている。
今回は栗子の盟友(と勝手に思っている)dark-RX氏が退院直後ということで、単独行である。
東栗子トンネル脇に車を止め、持参したMTBを組み立てて東栗子トンネルへ滑り込んだのが6:00。
歩道のないトンネルで大型車と排ガスに悩まされながら東栗子トンネルを出て、
登り坂に喘ぎながら万世大路工事軌道合同調査で降り立った鎌沢をちらっと横目に見て西栗子トンネルへ入る。
再び大型車と排ガスに悩まされながらも突破する。
R13は下りに転じ、MTBは猛スピードで走り、一気に米沢砕石へと到着した。
MTBをゲート付近に置き、息を整えていざ念願の山越えへ取り掛かったのが6:45。


6:49
米沢砕石はまだ稼動していなかった。
人一人いない構内を歩く。


6:50
さらばゲート。
MTBを回収しに来ることはできるのだろうか、ちょっと不安になった。


7:11
事務所を通り過ぎる。
むむむ・・・何だ!?お腹が痛い・・・・ゴロゴロいってるし・・・最悪だ!!
お腹を下した私が取った最終手段は、藪の中で野g(略
酒をガバガバ呑んだ代償か!?


7:16
米沢砕石の構内を抜けると、この廃道が始まる。
さあ、行くぞ!!


7:35
今年は、去年と違ってまだ紅葉が終わっていなかった。
藪もあまり枯れていなかった。
単独行ということもあり、今回は種類の違う鈴をなんと4つも付けていた。とてもやかましい(^-^;;


7:48
あまり人が入らなくなったのか、米沢側は年々荒れていくような気がする。
谷向かいの山は紅葉真っ盛りであった。


7:52
誰もいない山。単独行。
私にはこの美しい風景が恐ろしく感じられた。
雑念を振り切り、一歩一歩進む。


7:55
?????
九十九折れのカーブにあった。新設されたようだが・・・
栗子林歩道0.3Kmってどこからの距離??まさかこの後ろに続く踏み跡が林歩道???


8:02
ああ・・・
崩落している。自然に還るのか・・・
瓦礫の山を慎重に越える。
2004年11月の同地点


8:08
紅葉が美しい。
時々、鳥がけたたましい音を立てて飛び立ち、私を驚かせた。


8:12
谷向かいは朝日を浴びて一層美しい。


8:19
毎年、ここから藪が酷くなる。
藪の凹みを強引に突破していくこととなる。
枯れかかっているだけマシか。


8:20
去年は無かった手作りプレート。
ナナカマドってバラ科だったのね・・・勉強になりました。


8:36
道はぐちゃぐちゃに。
いよいよ山肌が近づいてきた。


8:42
最後の九十九折れをクリアすると、目の前に異様な雰囲気を漂わせる栗子隧道が現れる。
「で、でかい・・・!」その言葉しか出なかった。


8:44
栗子山方面はガスがかかっている。
稜線での視界はどうなのだろうか・・・心配になる。


8:44
栗子山隧道。
相変わらずの姿である。


8:44
これから詰めて行く谷。栗子川の源流である。
山越えにどれくらい時間が掛かるかわからない。天候も不穏だ。
さっさと登り始める以外に選択肢は無かった。

(12/17に知ったのだが、11/13に山口屋様がここへ来たところ
栗子隧道が入り口付近で新しい崩落を起こしていたそうである。
この時に確認しなかったのが悔やまれる。)

(追記 2006年5月再訪しました。新しい崩落がありましたがまだ塞がってはいませんでした。)


戻る その2


栗子山塊越え略図