第一話:游侠に対する評価の相違


游侠に対する評価は『史記』を著した司馬遷と、『漢書』を著した班固では大きく違う。

儒教の影響力、また歴史家個人の思想や立場も大きく関係していると思われる。



司馬遷は游侠列伝の冒頭でまずこう述べた。

韓子曰、「儒以文乱法、而侠以武犯禁。」
韓非子は「儒者は学問をもって法を乱し、游侠は武力をもって法を犯す。」と言っている。

二者皆譏、而学士多称於世云。
儒者游侠どちらも韓非子に非難されているが、儒者は世の中で称賛されることが多い。

なんと、司馬遷は儒者も游侠も大して変わらないと言わんばかりである。

続けて司馬遷は言う。

游侠は言ったことは必ず守り、やろうとしたことは必ずやり遂げ、引き受けたことは必ず実行し、

一身をなげうって他人の為に奔走し、死地から帰っても力を誇らず、

行いを自慢することを何よりも恥とした。游侠にも見習うべき点があるのだ。

だから高貴な者でも絶体絶命になれば游侠に命を預けることがあるのだ。

これらの游侠達は豪傑賢者の仲間であると言える。


司馬遷は自らの獄中体験を振り返り、誰も救ってくれなかった現実を思い出したに違いない。

あの絶体絶命の時に救いを求めるのであれば游侠か金であった、と回想したのかもしれない。



一方、班固はより理論的に游侠の「存在」を否定する。

冒頭でいきなり儒祖孔子を引き合いに出すところで司馬遷とは明らかに異質である。

孔子曰、「天下有道、政不在大夫。」
孔子は「天下に正しい道が備わっていれば、政治は家臣には渡らない。」と言った。

百官有司奉法承令、以脩所職、失職有誅、侵官有罰。
全ての役人は法を奉じ令に承服しこれをもって職をまっとうし、職を誤れば誅罰を受け官を汚せば罰があるのだ。

夫然、故上下相順、而庶事理焉。
その様であればこそ、上下の順序が立ち、諸々礼儀にかなうのである。

班固はこの時点で、礼や法の外にいる游侠をあってはならない存在として否定している。

続けて班固は、戦国の四君(信陵君・平原君・孟嘗君・春申君)虞卿の行跡を槍玉にあげ、

「於是背公死党之議成、守職奉上之義廃矣。」と断じた。
これにより国家に背き私党に殉ずる考えがうまれ、職を守り上を奉ずる義が廃れた。

さらに班固は言う。

「非明王在上、視之以好悪、斉之以礼法、民曷知禁而反正乎!
賢明な君主が上におり、游侠の行いに好悪を示し礼と法をもって乱れを直さなければ、
何を以って民は禁令を知り正道に立ち返れるのか!


古之正法、五伯、三王之人也。而六國、五伯之人也。夫四豪者、又六國之人也。
いにしえの正法からすれば、五覇は夏の禹王・殷の湯王・周の文王の罪人であり、戦国六国は五伯の罪人である。
戦国の四君は六国の罪人なのだ。


況於郭解之倫、以匹夫之細、窃殺生之権、其罪已不容於誅矣。」
ましてや郭解の輩が賤しい身分でありながら生殺の大権を盗んだこと、すでに誅殺を免れられないのだ。

砕いて言ってしまえば、権力の源である皇帝を無視する游侠は倫理上許せない、

といったところだろうか。

完全に漢至上主義であり儒の理論であるが、班固は高祖に対しては非難しない。

高祖劉邦は、班固が罪人と断じた信陵君や張耳に傾倒し、出発は游侠であったのだが。



司馬遷・班固に対する賛否は擱く。

時代背景や編者による游侠に対する評価の相違は非常に興味深いものがある。


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