第四話:討伐と内訌
武帝建元六年、 越は南越(香港〜ベトナム北部を領有)を攻撃した。
南越は漢の外藩国として漢の武帝に状況を報告し、勝手に出兵をしなかった。
武帝は、これを機に東甌に続き 越も片付けてしまおうと考え、
王 を豫章郡から、韓安国を会稽郡から出撃させた。
これを見た淮南王劉安が上書して武帝を諫めた。
しかし武帝は出兵を強行した。
この上書には越の風土や風習が載っており、大変貴重であるのでここに挙げておく。
・越には城郭や邑里がなく、民は渓谷・竹薮の間に住んでおり、水戦に通暁している。
・越は名目上藩臣だが、貢物や酎金を納めていない。
・越に入れば深い森に挟まれた水路を下らねばならず、水路には舟を破壊する岩が多く、
また森の中にはマムシや猛獣が多い。
・兵は嘔吐や下痢に悩まされ、霍乱(コレラか?)が発生し戦争をする前に死者が出る。
・越と漢の地は高山で区切られており、馬車が通れる道はない。
・秦の時代、郡都尉の屠 が越を撃ったが、返り討ちにあった。
越王 郢は、漢軍が到着する前に兵を出し要害を固めた。
これを見た王弟の 餘善は「漢に敵うわけがない」と一族と謀議し、
兄を殺して漢皇帝に謝罪し、それで許されないなら力戦し海中の島に逃れる計画を立てた。
一族の者も賛成したため、鉾で王を突き殺し首を王 のもとへ送り届けた。
武帝は報告を受けて、王 ・韓安国の軍を止めさせた。
そして、「 無諸(劉邦を助けた初代 越王)の孫の 君・ 丑だけは謀反に加わらなかった。」とし、
丑を越の 王にとりたてて 越の先祖をまつる祭祀を継がせた。
一方、兄を殺しても王になれなかった 餘善は、
多くの民を帰属させ実力を持っていた為、漢には内緒で勝手に王位についた。
王 丑はこれを制することができなかった。
武帝はこれを聞いたが、 餘善のために再び出兵することもないと考え、
王 丑と同格の東越王にとりたててやり、懐柔した。
越・東甌・ 越系図

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