第五話:東越滅亡


武帝元鼎五年(紀元前112)南越が反乱を起こした。

東越王すう餘善は八千の兵を連れて楼船将軍楊僕の指揮下に入り南越を攻撃したいと申し出た。

漢ではこれを快諾し、共に軍を進めることにした。

しかしすう餘善は海の波風が強いことを理由に軍を留め、南越にも使者を送って二股をかけた。

楊僕はすう餘善が二股をかけたことを見抜き、東越も討ちたいと上書した。

武帝は兵士は疲労しているとして楊僕の申し出を却下し、

南越を滅ぼしたあとは国境まで引いて兵を駐屯させた。


東越王すう餘善は、楊僕が自分を誅殺するように上書し、

国境に待機して東越を滅ぼそうとしていることに焦り、翌秋ついに叛旗を翻した。

すう餘善は「武帝」の印璽を刻んで東越の武帝と号し、将軍すう力を呑漢将軍とし国境に攻め入った。

対する漢軍は元封元年(紀元前110)、各方面から東越に攻め込んだ。

東越は要害に拠り頑強に抵抗し、楊僕の軍は勝たなかった。


しかしこの戦いはあっけなく終わった。

実権をすう餘善に奪われていたようすう居股が、

東越国建成侯であった敖(姓不詳)と謀りすう餘善を殺し、

その兵を率いて漢軍に降服したのである。

東越は滅亡した。


武帝は東越の滅亡を喜び、元のようすう居股を東成侯に封じ一万戸を与え、

すう居股と共にすう餘善を殺した敖は開陵侯となった。

東越国衍侯であった呉陽は、領内の700人を率いて東越に背き

東越軍を攻撃した功績で外石侯となった。

また東越の将であった多軍は、漢軍が到着すると戦わずして降伏したので無錫侯に封じられた。


武帝は「東越は土地が狭く険阻な要害が多く、人々は剽悍でしばしば裏切る。」と言い

東越の人民をすべて江水・淮水の間の地に強制移住させた。

これにより東越の地は無人になったと史記は伝える。



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