武帝元鼎五年(紀元前112)南越が反乱を起こした。 東越王 ![]() 漢ではこれを快諾し、共に軍を進めることにした。 しかし ![]() 楊僕は ![]() 武帝は兵士は疲労しているとして楊僕の申し出を却下し、 南越を滅ぼしたあとは国境まで引いて兵を駐屯させた。 東越王 ![]() 国境に待機して東越を滅ぼそうとしていることに焦り、翌秋ついに叛旗を翻した。 ![]() ![]() 対する漢軍は元封元年(紀元前110)、各方面から東越に攻め込んだ。 東越は要害に拠り頑強に抵抗し、楊僕の軍は勝たなかった。 しかしこの戦いはあっけなく終わった。 実権を ![]() ![]() ![]() 東越国建成侯であった敖(姓不詳)と謀り ![]() その兵を率いて漢軍に降服したのである。 東越は滅亡した。 武帝は東越の滅亡を喜び、元の ![]() ![]() ![]() ![]() 東越国衍侯であった呉陽は、領内の700人を率いて東越に背き 東越軍を攻撃した功績で外石侯となった。 また東越の将であった多軍は、漢軍が到着すると戦わずして降伏したので無錫侯に封じられた。 武帝は「東越は土地が狭く険阻な要害が多く、人々は剽悍でしばしば裏切る。」と言い 東越の人民をすべて江水・淮水の間の地に強制移住させた。 これにより東越の地は無人になったと史記は伝える。 ![]() |