第九話:一族その後


文帝十一年、初代絳侯周勃が亡くなり武侯とおくりなされた。

子の勝之が継いだが文帝の後二年に殺人の罪で死罪となった。

列侯第四位であった絳侯は二代で断絶した。



周勝之の弟で周亜父という者がいた。

周亜夫は河内郡太守であったが、ある時河内の許負という有名な人相観が

亜父の顔を観て言った。

許負 「あなたは三年後に列侯となり、そのあと八年で将となり国政を任され

位を極めるでしょう。しかし九年後には餓死するでしょう。」

周亜夫 「ははは。私の兄はすでに列侯を継いでおる。

もし兄が死んだら兄の子が継ぐ。わしに侯位は関係あるまい。

それに貴くなるのに餓死するという話もおかしい。理由を教えてくれ。」

許負 「あなたの鼻の脇から出ているシワが口に入っております。

これは餓死の相です。」


許負の言葉通り、三年経つと兄の周勝之が死罪となり絳侯は断絶した。

文帝は周勃の功を思い、周勃の子のうち評判の良かった周亜夫を抜擢し條侯とした。

ちなみに條の字は脩の読みと同じであり表記に混同があるようだ。
勃海郡に脩市県があり、ここが周亜夫の食邑だったと思われる。





結果から言うと、周亜夫は位を極めた後、非業の死を遂げる

許負の占いに仮託した逸話なのかどうかは判らない。

ちなみに諸説あるが許負は最後まで在野で終わったようだ。

娘を任侠の郭家に嫁がせ、生まれた子が『史記』游侠列伝に登場する郭解である。


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