第二話:大いなる苦難
秦の始皇帝と二世胡亥は人民を搾取し、労役に駆り立てた。
人々は疲れ果て、各地で大規模な反乱が起きた。
最大規模だったのが陳渉の反乱だった。
魏家の長、元のィ陵侯魏咎は陳渉の下に馳せ参じ、魏咎は魏王に任命された。
しかし、章邯率いる秦軍が魏咎の籠る臨済(りんさい:後の陳留)を包囲すると、
魏咎は人民の為に降伏条件を取りまとめさせ、条約が決まると自決した。
このとき弟の魏豹・薄姫の母は城外へ逃れた。魏豹は項羽の傘下に入り、数千の兵を与えられた。
魏豹はよくやった。魏の二十余城を降し、魏王に立てられた。
項羽が覇王となり諸侯に行賞した際、魏豹は西魏王に封じた。
しかし漢王に封ぜられた劉邦が反旗を翻し三秦を攻め落とすと、魏豹は国を挙げて漢に帰順した。
劉邦と共に項羽留守中の彭城を攻めたが、
超人的武勇の項羽が救援に駆けつけ漢連合軍は大敗北を喫し、陽まで退却した。
このとき、魏豹は親を看護するとの名目で帰国を申請し、
本国に帰るとすぐさま黄河の渡しを破壊し漢に叛き項羽と通じた。(うむむ、目まぐるし過ぎる展開だ)
魏豹が栄達したのを見、薄姫の母は娘を魏豹の後宮に入れようと考え、
許負という占いの名手に娘の人相を診てもらった。
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