第七話:右丞相


呂氏を滅ぼした周勃らは次の皇帝を決めるにあたり、

年長者で外戚の力が弱い皇族を迎えることとした。

幼少の皇帝が長く治めれば、当然外戚が幅を利かせ

周勃ら功臣を根絶やしにすることは目に見えているからだ。


周勃は呂后が立てた少帝らを劉氏でないとし、夏侯嬰に命じ少帝を捕らえさせた。

さらに代王であった劉恒を招いて皇帝に立てたが、劉恒は慎重でなかなか依頼を受けなかった。

群臣は渭橋で劉恒を待ちうけ、周勃は跪いて玉璽を捧げようとしたが拒否された。

さらに劉恒は長安へ到着するとそのまま代王邸へ入ってしまった。

周勃・陳平らは帝位に就くよう説得した。劉恒は度々辞退したが受けた。

新皇帝が未央宮に入ろうとすると、正門を警備していた謁者が新皇帝を入れようとしなかった。

周勃は自ら正門まで行き謁者らを諭し、門を開けさせた。

同日、少帝ら呂氏の血縁者はみな誅殺された。

周勃は新皇帝擁立も成功させた。


劉邦が「劉氏を安泰にする者は必ず周勃である。」と言ったのは本当であった。


正式に文帝が即位すると、周勃は最上位である右丞相に任じられ、

黄金五千斤と食邑一万戸が加増された。

この時左丞相は陳平であったが、周勃は能力が陳平よりも劣っていることを自覚しており、

なおかつ客から「右丞相は呂氏を誅し代王を天子に迎え、威は天下に震っております。

しかも皇帝から厚賞を受け最高位におります。このままでは禍が身に及びますぞ。」と忠告され

中央から身を引くことにした。

韓信や盧綰ら功臣の末路が自分に重なって見えたに違いない。

また、おうとの確執でも思うところがあったのだろう。


周勃は文帝に謝して丞相の印を返したいと願い出た。

文帝は辞職を許した。

周勃は中央から身を引くことに成功したかに思えたが・・・


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