第三話:太子廃絶


しつ都は済南郡では神のように畏れられ、都尉は車を使わず徒歩で府に入り、

郡内の県令はすがるように役人を通じ謁見する有様であった。

しかし、面白いエピソードも残っている。

季布の弟季心がしつ都の配下になったことがあったが、

季心の名声は天下に響き渡っており、しつ都も季心を厳しく縛ることはできなかったという。

何となくしつ都の人柄が見えてこないだろうか?



景帝七年、しつ都は中央に召され中尉となった。

このとき丞相は周亜夫(絳侯周勃の子)、御史大夫は劉舎(桃侯項襄の子。項羽の一族)

奉常は蕭勝(蕭何の孫の子)であり、みな高祖の功臣の子孫であった。

丞相周亜夫は呉楚七国の乱を平定し驕慢であったが、しつ都は拝礼せず会釈するだけであった。


同年冬、景帝は栗姫の産んだ太子栄を廃し臨江王に格下げし、膠東王徹を太子とした。(後の武帝)

さらに、しつ都に命じて栗一族を誅滅させた。しつ都は厳格に刑を執行した。

要するに、景帝は外戚栗一族を一掃する為だけにしつ都を呼び寄せたのだ。(漢書衛綰伝参照)

この一件以来、諸侯・皇族からは「蒼鷹」(獰猛な猛禽類)と揶揄された。


三年後の中三年、臨江王となり領国に下っていた劉栄は、

廟の土地を侵して宮殿を造営したとされ、都へ召喚され中尉府に出頭した。

しつ都は文書に照らし合わせて栄を厳しく問責した。

劉栄は恐れ書をしたためて直接景帝に謝罪しようとしたが、

しつ都は許さず刀筆を貸し与えなかった。

しかし景帝の外戚であった竇嬰がこっそり刀筆を劉栄に差し入れ、

栄は書をしたため景帝に謝罪すると、そのまま自殺した。


これを聞いて激怒したのが竇太后であった。

彼女は孫が殺されたと思い、あらゆる手段を尽くしてしつ都を陥れようとした。

以前はしつ都を重んじていたのにもかかわらず・・・


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