第五話:石一家


石奮一家が孝行で慎み深いという評判は地方にまで響き渡っていた。

斉地方や孔子の故郷である魯地方の実行を重んじる儒者でさえ、

石奮一家には到底及ばないと感じていたという。


武帝の建元二年(紀元前139年)、郎中令王臧が儒学に基いた献策をしたが、

儒学嫌いの竇太后が怒り王臧を罪を着せて自殺させてしまった

竇太后は、儒者はきらびやかなことを言うが実行が伴っていないと思い、

不言実行の石奮一家をとりたてようと考えた。

そこで竇太后は、すでに白髪頭になっていた長男の石建を自殺した王臧のかわりに郎中令に、

末子の石慶を内史(首都長官)に任命した。


郎中令になった長男の石建は、休暇には必ず父のもとへ帰りご機嫌うかがいをし、

父の下着や便器を自分で洗い、父に気づかれぬようそっと元へ戻しておいた。

また石建は武帝に進言するときには人払いをし、誰もいなくなると遠慮せず思い切った献策をしたが、

朝廷で他の大臣と共に謁見するときは、まるで言葉を喋れぬ人間であるかのようであった。

そのため、武帝は石建を深く信任し敬意をもって接した。


父の石奮は高齢であったが元気であった。この時、八十一歳である。


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