第六話:大往生



石奮は高齢であったが、茂陵の陵里というところへ引っ越した。

あるとき末子の石慶が酔っ払って帰り、

陵里の入り口の門を馬車から降りずにそのままくぐってしまった。

あとでそのことを聞いた父の石奮は、一切食事をとらなくなった。

石慶は恐惶をきたし、肌脱ぎになって自らを辱め、父に謝罪したが赦されない。

兄の石建と親族すべてが肌脱ぎになって謝罪すると、石奮はこう言った。

「内史どの(石慶)は高貴なご身分。まちの門を入られるときには、みなが走って道をあけてくれる。

馬車のなかでどっかと坐っておられるのは、当たり前のことでしょうな。」

石奮は痛烈な皮肉を言って末子に冷や汗をかかせると、赦して下がらせた。

それからというもの石慶や一族の者は、まちの門をくぐる際には馬車から降り

家まで走っていくようになった。


武帝の元朔五年(紀元前124年)、石奮は九十六歳で長い一生を閉じた。

漢楚動乱で縁あって劉邦に仕え、天下統一、功臣粛清、呂后専制、呂氏討滅、呉楚七国の乱、

匈奴討伐を見、高祖・恵帝・文帝・景帝・武帝と五代に仕え朝廷に重きをなした。

万石君石奮が亡くなった年は、ちょうど衛青が大将軍となった年であった・・・


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