第五話:何知程李乎



李広、程不識、両将軍の人気は相当のものであったらしく、有名な逸話が残っている。


武帝の元光四年(BC131)夏、丞相田ふんが燕王劉嘉の娘を娶った。

ふんは風采はあがらない男だが、外戚として権力を振るい尊大に振舞い、

若い武帝にも遠慮せずに要求を突きつけるような男であった。

この男の祝いの宴席に、劉一族や権力者に混じって酒乱の灌夫が来ていた。

灌夫は元々田ふんを嫌っており、酒席でも苛々していた。

臨汝侯灌賢(灌嬰の孫。灌何の子か。何は灌夫を官吏に推薦した)に酒を注ぎに行ったところ、

灌賢は程不識とひそひそ話しをしており、灌夫が酒を注ごうとしても敷物を外そうとしなかった。

灌夫は苛々が爆発し、賢を罵った。

「貴様は常々程不識を罵って、一銭の価値もない男だといっているくせに、

年長者の私が健康を祝して酒を注いでいるというのに、こそこそと内緒話をするのか!」

ふんは騒ぎを見かねて言った。

「程将軍と李将軍は共に名誉ある東西宮殿の衛尉である。

今満座の中で程将軍に恥をかかせたが、君の敬愛する李将軍の立場はどうなるのだ。」

こうなると灌夫は手がつけられなかった。

「今日斬頭陷匈、何知程李乎!」と叫んでしまった。
今日は斬首されようとも胸を突き刺されようとも知った事か。程も李も関係ない。

宴席は台無しになり、皆退席してしまった。

ふんは大いにメンツを潰されて怒り、灌夫を捕らえて処刑した。


HOME 第六話