チャリに別れを告げ、単身藪に突っ込んだ。 明らかなロストポイントでは写真のようなピンクのリボンが 枝にくくりつけてあり、迷うことはなかった。 このリボンに油性ペンで「ありがとう」と書こうかと思った程である。 |
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見事に藪は枯れ、幅0..8人分の踏跡が続く。 マウスポインタを写真の上に乗っけると、10月の写真が見れます。 10月の写真の踏跡は、私と友人で切り拓いたものであり始めは無かった。 |
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熊の足跡であろう。拳大のおおきさ。 カモシカの足跡もあった。 このあと隧道付近まで延々と続いていた。 やはり一人で来るべき所ではないようだ。 |
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前回の無念の撤退ポイントから山並みを眺める。 マウスポインタを乗せてみてほしい。前回探索時の酷い藪がご覧いただけよう。 10月はここを直進しようとして道を見失い、あまりの激藪に撤退したのだが、 正解は直進ではなく、回れ右をして九十九折を登る。 ここにはいくつかリボンがつけられており、やはりロストポイントのようだ。 |
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地図を何度も確認しながら慎重に進む。 今回は国土地理院25000分1の地図を持ってきた。 こいつは頼りになる。 時折現れる万世大路の石組み。 森に埋もれながらも健在である。 |
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もはや道ではない。路面は沼と化し、倒木が重なる。 冬季の雪の重みで木はひん曲がり、そこにツタ状の植物が巻き付き 呪われているような風景が続く。 熊の足跡も続く。 生きた気がしない。 |
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捨てられてビニール部分が無くなった傘。 どこかの会社の傘だったらしく、柄に社名が書いてあった。 こんな物でもほっとする。 |
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足をあげるのも辛く、最後の九十九折をへろへろになって通過。 遂に、遂に栗子隧道米沢側に到達したというのか! |
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「やったーー!」 困難を乗り越え目標に到達した者は、しばしばこの情けない言葉を発する。 それも自然にだ。 福島側と違って、こちらは道同様荒れ果てている。 明治の栗子山隧道(右)は自然の洞窟に化けているし、 昭和の栗子隧道(左)も坑門の崩れが激しい。 偶然検索で引っかかった廃屋の猫で栗子隧道を知ってから2年。 夢にまで見た光景。 足の痛みも吹っ飛んだ。 |