まずは昭和11年に完成した栗子隧道に接近。 というか、明治の坑門には藪が酷くていきなりは接近できない。 |
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私はこういうところにあまり恐怖を感じない性質なので、 廃隧道の真ん前に立っても平気であった。 坑門は厳しい風雪に晒され、痛みが激しい。 満身創痍といった感じだ。 |
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倒木が宙ぶらりんになっている。 |
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扁額は辛うじて残っている。 コンクリの化粧は無残にも剥がれ、扁額の下にわずかに残るのみ。 よく見ると、石灰分でできたツララができている。 |
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内部の様子。 小規模の落盤が起き、鉄筋にコンクリがくっ付いたままぶら下がっている。 一人だし内部の探索は止めておこう。 また訪れる機会があったら。 |
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続いて初代、明治の栗子山隧道。 明治の素掘り隧道が現存しているというだけで特筆すべき土木遺産である 【日本の道】というサイトに栗子山隧道の在りし日の姿(石版画)があります。 なんという変わり果てた今の姿・・・ |
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どうみても洞窟にしか見えない。 しかし岩肌を削った跡が残っており、人力手掘りであったことを窺わせる。 崩落した岩には苔が生え、歴史の長さを感じさせる。 |
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昭和の栗子隧道の右に捨てられていたヴィダーインゼリー。 かなり新しい。ニ、三日前のものだろか。 捨ててはいけないゴミだが、なんかほっとする。 |
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自分撮り。 体力の限界を超え、汗だくで耳は真っ赤である。 頬や顎には塩の結晶がたくさんできていた。 汚いが白い結晶をなめてみたら、やはり本物の塩だった。 |
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