大瀧宿 2003.11

大瀧宿は明治10年、万世大路建設基地として誕生した。

私も先ほどのレポで栗子隧道福島側を紹介したが、見ての通りの難所・栗子峠越えを控えた宿場町であった。

しかし明治32年に板谷を抜ける奥羽本線が開通、客足が途絶え宿場町としての機能を失った。

以後、街道沿いの山村として(昭和10年頃には40世帯を越えていた)大正昭和を生き抜いた。

が、国道13号新道開通後13年の昭和54年。最後の住民が離村し、旧道沿いの大瀧宿は遂に廃集落となった。

大瀧宿は、万世大路と共に生まれ、共に消えた。

大瀧宿はいまだに人の温もりが残っている。

瞼を閉じれば、子どもたちの声、人々の談笑する声が聞こえてきそうだ。

生活はそのままに、人間だけそっくり消えてしまった。

軒先で爺さんがのんびり日向ぼっこしていそうな佇まいである。

人はいなくなっても、それを語り継ぐ人がいる。

100年以上の人の喜び悲しみ、万世大路は今も静かに見つめている。

大瀧宿の鳥居で、母娘の親子に出会った。

娘は階段に座っていた。

母娘ともに楽しげであった。

100年の営みは訪れる者を暖かく包み込む。


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