万世大路福島側 その4 2003.11

廃橋台を後にし、しばらく無心で歩くと眼前に威厳ある栗子隧道が現れる。

「おっしゃーーーーーーーー!!」

という訳の解らない言葉が自然と口から出た。


標高800m、単独行の孤独、遭難の恐怖、熊遭遇の懼れ。

辿りつくまでどれだけ辛かったことか。

枯藪に埋もれる坑門。

明治13年貫通、昭和11年に拡張改修、

昭和41年旧道となり、昭和47年大落盤により閉塞、現在に至る。

隧道は67歳、道は122歳。

今、私は歴史の証人の一人となった。

左側には流水路があり、勢いよく水が流れている。

流れは路面を我が物顔で横切り、川へと落ちてゆく。

隧道内へは流れ込んでいない。


流水路の左には踏跡が続き、登山者を栗子山へといざなっている。

隧道内部の天井が光っている。

なんだろう。

おお。

朝日が差し込み、隧道内部の水面に反射している。

何と幻想的な風景だ。

入口に立った。

内部は落盤により完全閉塞しており、

また路面は水と長い間堆積した泥に覆われている。

膝までの長靴があれば進入できる感じである。

重いハロゲンライトを奥へ向けてみたが、

光線は闇に飲みこまれ閉塞点を映し出さない。

残念だが内部進入は断念した。


画面左にいくつか写っている白い点、虫である。

入口付近に大量に発生していた。

上の写真でも解る通り、入口付近はヘドロが酷い。

「栗子隧道」

扁額がこんなにもきれいに残っている。

隧道から万世大路を見る。

きっと、早朝にこの長く暗い隧道から出てきた車は

私と同じように全身に朝日を浴びたのだろう。

往時を想い描き、感傷に浸る。

確かにここは明治14年から昭和41年まで山形福島を結ぶ動脈だったのだ。

私にはまだ米沢側の探索が残っている。

「お疲れ様。ありがとう。」隧道にお礼を言い、痛む足に鞭を打ち帰還開始。


この道が旧道になって47年、こんなにも自然は回復するものなのか。

呆然とする。

大平橋付近でチャリと再会。大平集落跡を後にし、暗い二ツ小屋隧道を抜け、

万世大路と別れを告げスキー場作業道をパンクに気をつけて一気に下り、

車と再会。生きて帰還することができた。素直に嬉しい。


ちなみに、行きで大平橋付近で藪を掻き分けていたら
突然登山者二名と鉢合せとなり、お互いにびっくり。
登山者「どこ行くの?」
おばら「栗子隧道を見に来たんです。」
登山者「ああ、中、水溜まってたよ。」
おばら「ええ?!本当ですかー。残念です。」
登山者「ああ。稜線から下りてきたけど、あんたは行かないの?」
おばら「すぐそこまで自転車で来たんで行きませんよ。」
登山者「自転車??あんた変わってるねー。」
おばら「ん〜そうですか?んじゃお気をつけて。」
登山者「じゃ。」
そして帰り道、このおっちゃん二人に二ツ小屋隧道で追いついた。
おっちゃんには勇気づけられた。おっちゃんありがとう!!



福島在住の蛭田さまの情報と私の堪え性の無さにより、この時期の探索に踏みきりました。

5月上旬を勧めてくださったfukuさまやヨッキれんさまには大変申し訳ないことをしました。

お詫びすると共に、お三方には重ね重ね御礼申し上げます。


万世大路は本物の廃道です。危険!
入って何が起きても私ぁ知らんぞぃ。

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