廃橋台を後にし、しばらく無心で歩くと眼前に威厳ある栗子隧道が現れる。 「おっしゃーーーーーーーー!!」 という訳の解らない言葉が自然と口から出た。 標高800m、単独行の孤独、遭難の恐怖、熊遭遇の懼れ。 辿りつくまでどれだけ辛かったことか。 |
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枯藪に埋もれる坑門。 明治13年貫通、昭和11年に拡張改修、 昭和41年旧道となり、昭和47年大落盤により閉塞、現在に至る。 隧道は67歳、道は122歳。 今、私は歴史の証人の一人となった。 |
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左側には流水路があり、勢いよく水が流れている。 流れは路面を我が物顔で横切り、川へと落ちてゆく。 隧道内へは流れ込んでいない。 流水路の左には踏跡が続き、登山者を栗子山へといざなっている。 |
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隧道内部の天井が光っている。 なんだろう。 |
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おお。 朝日が差し込み、隧道内部の水面に反射している。 何と幻想的な風景だ。 |
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入口に立った。 内部は落盤により完全閉塞しており、 また路面は水と長い間堆積した泥に覆われている。 膝までの長靴があれば進入できる感じである。 重いハロゲンライトを奥へ向けてみたが、 光線は闇に飲みこまれ閉塞点を映し出さない。 残念だが内部進入は断念した。 画面左にいくつか写っている白い点、虫である。 入口付近に大量に発生していた。 上の写真でも解る通り、入口付近はヘドロが酷い。 |
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「栗子隧道」 扁額がこんなにもきれいに残っている。 |
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隧道から万世大路を見る。 きっと、早朝にこの長く暗い隧道から出てきた車は 私と同じように全身に朝日を浴びたのだろう。 往時を想い描き、感傷に浸る。 確かにここは明治14年から昭和41年まで山形福島を結ぶ動脈だったのだ。 |
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私にはまだ米沢側の探索が残っている。 「お疲れ様。ありがとう。」隧道にお礼を言い、痛む足に鞭を打ち帰還開始。 この道が旧道になって47年、こんなにも自然は回復するものなのか。 呆然とする。 |
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大平橋付近でチャリと再会。大平集落跡を後にし、暗い二ツ小屋隧道を抜け、 万世大路と別れを告げスキー場作業道をパンクに気をつけて一気に下り、 車と再会。生きて帰還することができた。素直に嬉しい。 ちなみに、行きで大平橋付近で藪を掻き分けていたら 突然登山者二名と鉢合せとなり、お互いにびっくり。 登山者「どこ行くの?」 おばら「栗子隧道を見に来たんです。」 登山者「ああ、中、水溜まってたよ。」 おばら「ええ?!本当ですかー。残念です。」 登山者「ああ。稜線から下りてきたけど、あんたは行かないの?」 おばら「すぐそこまで自転車で来たんで行きませんよ。」 登山者「自転車??あんた変わってるねー。」 おばら「ん〜そうですか?んじゃお気をつけて。」 登山者「じゃ。」 そして帰り道、このおっちゃん二人に二ツ小屋隧道で追いついた。 おっちゃんには勇気づけられた。おっちゃんありがとう!! |
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福島在住の蛭田さまの情報と私の堪え性の無さにより、この時期の探索に踏みきりました。 5月上旬を勧めてくださったfukuさまやヨッキれんさまには大変申し訳ないことをしました。 お詫びすると共に、お三方には重ね重ね御礼申し上げます。 |