最上町から鳴子へ抜ける車道は三つある。 一つ目は県道63号最上鬼首線の花立峠経由。 二つ目は国道47号北羽前街道中山峠経由。 そして三つ目が県道262最上小野田線・築沢林道である。 国道47号以外は未舗装だが、二輪や四駆ならば通行は容易である。 今回レポする県道262最上小野田線・築沢林道の路面状態は悪くは無い。 しかし私達のようにストーリアのような車でここを通過するのはお勧めできない。 間違いなく車体に傷がつき、腹をこする。 私達は何を血迷ったか、ストーリアでこの未舗装県道・林道に挑んでしまったのである。 !注意! この林道は交通量が少なく、車にトラブルがあっても自力で抜け出すか、 携帯の電波の通じるところまで歩くしかありません。 充分に注意して通行してください。 |
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地図を下に載せましたので場所を知りたい方はどうぞ。 |
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赤倉で気になる吊橋を発見。 渡ってみたものの、どうやら私有地みたい。 ごめんなさいでした。 |
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県道262最上小野田線、山形側入り口にいきなりある通行止め情報。 行けるところまで行こう、と友人を説得。 |
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その脇には神社。 さらに通行止め看板。 田代高原一帯は林道等が張り巡らされ、初心者は迷うらしい。 思いっきり初心者である我々はいったい・・・・ |
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20Km制限。 うーん、県道か・・・。 未舗装。 |
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この一帯では銅が出たらしい。 福舟鉱山といい満沢鉱山といい杉ノ入鉱山といい、 舟形〜鳴子の山塊には銅鉱脈が走っているようだ。 |
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雨水が路面を削っている箇所も、うまく避けて通れば大丈夫。 そこまで路面は酷くない。 田代峠近辺はUFOが出るらしい。 私はまったく興味がなく、この時すっかり忘れていた。 |
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地層がむき出しになった川床。珍しい。 |
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なぜこうなったか謎である。作り物のようだ。 |
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二つ目の橋を渡る。 どの橋も錆び、いい味をだしている。 冗長な未舗装県道にアクセントを与えてくれる。 |
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林が伐採され、突然視界がひらけた。田代高原。 |
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雲が近い。至福のひと時。 |
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車道の田代峠?に到着。 本物の田代峠には行かず仕舞。 いつも事前の下調べを怠り後悔する。 今度行くことがあったら必ず登ろう。必ず。 |
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ここには石碑がある。 『雪華に夢うるわしく眠る君と 永遠に語らん国見の山々』哲夫 昭和四十三年一月十七日十三時四十七分 紙西一等空尉 愛機と共に此の地に瞑す 合掌。 |
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故人に祈りを捧げ峠をあとにする。 |
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道を進むと、何やらガードレールが見えてきた。 ???・・・ナビにはそんな道は載っていない。 |
・・・・・??????? 状況が掴めない二人。 何故に突然舗装路と合流????? ずっと未舗装県道を走っていた為、物凄い高規格道路に思えた。 どうやらダム建設の為、舗装したらしい。 |
舗装路に出て右を見ると田代番所跡の案内板がある。 ここは古来からの峠越えの道だったのだ。 |
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舗装された県道を進むと、再び田代番所跡の案内板。 藩境に二つあったということなのか? この少し手前に学校跡の案内板があり、そこから荒れた林道が延びていた。 ストーリアで進入するのは怖かったが、行ってみた。 |
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何度か車の腹を擦り打ちつけながら辿りついた。 人の営みがあったと思われる平地。 大平集落跡以来の懐かしい気持ちがこみ上げてきた。 |
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何か、温かい感じがする。 | |
舗装路を快調に飛ばすと、十字路に当たる。 案内板が出ており非常にわかりやすい。 が、我々が進もうとしている鳴子町方面の道、 築沢林道には通行止めの看板が車の進入を妨害している。 ということで、看板にはちょっと横にどいていただき、あっさり脇を通過。 県道262とはおさらばしたが、未舗装には変わりなし。 |
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築沢林道はそれなりに荒れている。 何度か車の腹を打った。 ストーリアで来る道ではない。 この先で軽トラ林道オヤジに出会ったが、ズボン一丁の裸であった。 虻がたかっていたがまったく気にする様子もなく、 車内から会釈する我々を驚いた眼で見ていた。 |
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視界が開け、加美・鳴子町境が近いことを知る。 |
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稜線を巻いて巻いてついに辿りついた町境。 何やら看板がある。 どうやら一帯は東北大学農学部の演習林のようだ。 休猟区の為に熊が出ると注意している。 |
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屏風岩付近の素晴しい風景。来てよかった。 さっきまでは左に見える屏風岩の向こう側を走っていた。 |
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名も無き峠。アツい。 |
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あとは一気に下り、鳴子温泉街の裏手に出る。 この日は鳴子峡を散策した後、鬼首を越えて秋田まで行った。 某店長様に挨拶したかったもので。 友人は助手席で爆睡。 夕焼けの鬼首道路・仙秋サンラインよかったのになー |