万世大路 再び 2004.05

4月、万世大路熱が再燃した。必ずGW中に踏破してやる、そう決めた。
しかし、あの山深さ、道の険しさ。加えて私にとって未知の恐怖、残雪。正直、怖い。
そんな中、強力な同伴者を得ることができた。dark-RXさまである。
今回のレポはdark-RXさまなくしては語れないものであり、感謝してもしきれない。
本当にありがとうございました。

!注意!
この旧道は大変困難な道程であり、なおかつ山深さも尋常ではありません。入山には十分注意してください。
当然携帯電話の電波は届きませんし、怪我をしたり獣に襲われても誰も助けに来ません。
ちなみに奥羽山脈の向こう側、米沢側は携帯電話が通じます。(ドコモ・ボーダフォン確認済)
栗子山の近くを通る途切れた道が万世大路ですmapion
5/1は出勤日だった為、会社を出てすぐにレンタカーを借り、
21:30には東北自動車道に乗れた。
矢板あたりでdark-RXさまに電話。
東栗子トンネル付近(携帯は圏外)で待ち合わせとなる。私は車中泊。

翌朝4:30寒くて目が覚める。温度計を見ると1度。
再び寝付くことができず、仕方なく新沢橋を見に行くことにした。

新沢橋は国道13号から唯一見える旧道の遺構。

新沢橋の見える所から少し栗子側に歩くと、不自然なガードレールがある。
作業道だった道が奥へ続いているのが見える。
そこが旧道へのショートカットである。

写真は二ツ小屋隧道方面へ続く旧道。

こちらは新沢橋方面への旧道。

奥に見えている石碑は、『殉職警察官之碑』である。
静かに手を合わせ先へ進んだ。
あの旧道へのショートカット道、関係者がお参りに利用している
のではないだろうか。

石碑のすぐ先に新沢橋はある。
橋上は荒廃しきっている。

山桜が咲いている。
両側の欄干は錆びきったガードレールである。

橋上に松の木が生えていた。
深く根をはることができないためか、小さい。

遠くに明治の小橋台が見える。そこまでは容易に辿りつけそうだったが、
惰性で沢を渡り明治の新沢橋まで行ってしまいそうだったので止めた。

親柱は割れ、破片が転がっていた。
雪解けか、温度差か。人の力では到底割れそうもない。

そこから先は荒々しい山肌に張り付くように旧道が続く。
ヨッキれん氏のレポにもあるように、この先は崩落しているようだ。

さあ、帰ろう。
これから険しく厳しい万世大路が待っている。
不安と期待で妙な気分であった。


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