第九話:功績に目が眩む


韓信は僅かな兵を率いて東進し、斉へ向った。

斉・趙国境であった平原の渡しに到着する前に、

れき食其が斉王を説き伏せ、漢に降服させたとの報が

伝わった。

韓信は河水渡河を止め、斉攻撃を中止しようとした。


しかし、韓信配下であった詐術弁士かい通が韓信を焚き付けて言った。

「将軍は、漢王の勅命を受けて斉を攻撃しておられるのですぞ。

それなのに、漢王はこちらに通告もせずに勝手に内密の使者を斉に出して降服させてしまいました。

大体、将軍に進撃中止の勅命でもあったのでしょうか。どうして進軍を止めることができましょうか。

れき生は一介の弁士にすぎないのに、三寸の舌をふるっただけで斉の七十余城を降してしまいました。

将軍は数万の軍勢を率いられ、一年かかってやっと趙の五十余城を降しました。

これでは将軍の功績が、青臭い学者に劣るということになりますぞ。」


なんと、韓信はこの意見に従ってしまい、そのまま河水を渡った。

斉ではれき食其の説得を受け入れて降服していたので、防備を解除し、軍隊も概ね解散していた。

韓信は無人の野を行くが如く、済水を渡り歴下を襲撃し、あっという間に斉都・臨しに迫った。

斉王田広は、れき食其が自分をだましたと思い、れき食其を鼎で煮殺した。

そして要害であった高密へ逃げ、使者を遣わして項羽に救援を要請した。


韓信は臨しを陥落させると、そのまま田広を追撃して高密の西まで来た。

項羽は竜且という猛将に二十万の兵を率いさせ、高密へ行かせた。

竜且の参謀が、李左車が陳余に進言したことと同じようなことを竜且に進言したが、

竜且は自らの勇猛さを恃んでその意見を一蹴し、野戦へ持ち込んだ。

斉王田広と竜且は軍を合わせ、い水をはさんで韓信と対峙した。


韓信は事前の諜報活動により、兵力では斉・楚連合軍に遥かに及ばないことを知っていた。

そこで、決戦前夜にい水の河上まで軍を引き連れて行き、一万以上の袋に砂をいっぱいに詰めさせ

い水を堰き止めさせた。

翌朝、韓信は減水したい水を渡り、竜且軍に攻撃をしかけた。

竜且は韓信がい水を渡る途中で迎撃し、痛烈に打ち破った。

韓信は敗走したふりをして、本陣へ退却した。

竜且は、「韓信が臆病なのは、天下周知のことだわい。」と大笑し、い水を渡って韓信を追撃した。


竜且が河を渡ったのを見た韓信は、部下に合図して上流の土嚢を崩させ、水を奔出させた。

水はどっと流れだし、い水は増水して水位が上がり、竜且軍は流されたり、渡れなかったり、

斉軍にいたっては、対岸で為すすべなく呆然としている有様であった。

韓信はすかさず竜且を厳重に包囲して猛攻を加え、竜且を殺し、周蘭を捕えた。

それを対岸で呆然と見ていた斉王田広の軍は、恐慌状態に陥り、散りじりになって逃げ去った。

韓信は追撃し、斉王田広を捕えた。宰相の田横は取り逃がしたものの、その軍事力を消滅させた。


韓信はいつの間にか驕慢となった。

斉の全土を平定すると、韓信は劉邦に使者を遣わし書を持たせた。

「斉は嘘偽りが多く、裏切りを繰り返してきた国です。

しかも、現在では楚と国境を接し、わたくしが仮の斉王となって抑えなければ、

落ち着かない状況にあります。

この便宜のために、わたくしを仮の斉王にしていただきますようお願いいたします。」

これを読んだ劉邦は激怒した。

「わしは項羽に厳しく包囲され、苦しいめにあい、

いつお前が救援に来てくれるのかと待ちわびておった。

それなのに、勝手に斉王になると申すか!!」

傍にいた張良と陳平は咄嗟に「まずい!」と思い、劉邦の足を踏んで、ささやいた。

「漢は今、不利な状況にあります。

斉王になるのを禁止し、韓信を怒らせればとんでもないことになりますぞ。」

劉邦も気づき、もう一度怒鳴った。

「立派な男が斉を平定したのだ。仮の王などと言わず、真の斉王になれ!」

そして張良を斉へ遣わし、正式に斉王に任命した。


これより韓信は、劉邦に警戒され猜疑された。



管理人が思うに、自分の功績に目が眩み、れき食其を殺してしまった韓信の罪は拭いようがない。

れき食其を殺してしまい、れき(食其の弟)と共に劉邦に仕えることを恥として自殺した田横と、

淮陰侯としてれき商と同列になった韓信。

人々はどちらを謗り、どちらを賞賛するだろうか…。

そして、『漢書』で弁詐の士(偽りを以って君主を動かす弁士のこと)として

伝を立てられたかい通を信任した韓信は、その後の運命をかい通に変えられてしまうのである・・・


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