第六話:背水の陣


魏から趙へ抜ける為には、井けいけいは小道のこと)という隘路を

通らなければならなかった。

けいは函谷関と同じように天嶮が通行者を遮り、

その道は車騎が二台並んで通れないという狭さであった。

趙では韓信がこの井けいを通って攻めてくると聞くと、

その隘路の出口に兵を集結させ、韓信が出てきたところを叩くことにし、兵数は二十万と宣伝した。


趙では、知恵者李左車(広武君の称号を持っていた)が韓信をよく研究しており、

実力者陳余に韓信対策を進言した。


「漢の将軍韓信は河水を渡って魏王を虜にし、閼与では激戦し代の夏説を捕えたとのこと。

彼らは勝ちに乗じて遠く本国を離れて戦っている軍隊であり、まともに当るのは愚かなことです。

けいの隘路は数百里続き、漢兵どもは隊列を組んで進むことはできません。

当然兵糧は後方にあるでしょう。そこを突くのです。

どうか三万人を奇襲隊として私にお貸しください。

間道をつたい漢軍の横腹から攻撃し、韓信本隊と兵糧部隊を分断します。

陳余さまは、堀を深くして砦を高く築き、陣営を固めて一切戦いわないでください。

漢軍は、飢えて戦おうにも戦えず、退くに退けず、立ち往生すること間違いなし。

十日もたたないうちに、韓信らの首が陳余さまのお側に届くことでしょう。

どうかこの計を採用してください。でなけば、我々は彼らの捕虜となるでしょう。」


陳余はこれまでいい加減なことをしてきたが、いつも正義の戦を掲げ、

騙し討ちや奇襲を好まなかった。

陳余が反論した内容は、戦を知らぬ書生の空論であった。


「わしが学んだ『孫氏』では、『十倍ならば包囲し、二倍なら戦う』とあった。

韓信の軍は数万と宣伝しておるが、実際数千人であろう。

はるばる千里の道をやってきたが、その軍は疲れ果てておる。

こんなザマの敵を避けて攻撃しなければ、諸侯はわしを臆病だと思い、

趙を侮り攻め寄せてくるであろう。」


李左車の献策はこうして無視された。

韓信は趙国内へスパイを多数派遣しており、李左車案が却下されたことを嗅ぎつけると非常に喜び、

思い切った兵数をひきつれて井けいへ下っていった。

小道を行軍し、隘路の出口手前20Kmの山中で野営した。韓信は密かに軽騎兵二千騎を選び、

夜中に出発を命じた。二千騎は山間の間道を通り、いずこかへ消えた。

それから韓信は軍隊に弁当を配るよう命令を出し、言った。

「明朝に趙を破ってから正式な食事をしよう。」

曹参や張耳は、「いい加減なことを言いおって。」と心の中では韓信のことを嘲笑った。


韓信はさらに言った。

「趙はとっくに都合の良い場所を占めて砦を築いている。

彼らはわしの旗印を見ぬ限り攻撃してこないことは明白だ。

わしが逆戻りして井けいに逃げこんでしまえば、趙にとっては都合が悪いであろう。」

そして一万人を先行させ、井けいを抜けると河を背にして陣を築かせた。

趙軍は遠くからそれを見て、みな韓信の軍略を馬鹿にして大笑いした。

趙軍は韓信が予言した通り、韓信軍を馬鹿にして攻撃してこなかった。


明け方、韓信は大将の旗印と陣太鼓を打ち鳴らして井けいの出口から出て、

先行隊が築いた河岸の陣に入った。

趙軍はここぞとばかりに砦を空けて出撃し、大激戦となった。

暫くすると韓信と張耳は偽って負けたふりをし、太鼓や旗指物を打ち捨てて河岸の陣へ逃げ込んだ。

趙軍は追撃し、河岸の陣まで迫った。

再び激しい戦闘となった。

韓信軍は、後ろに河、前に大軍、という必死の状況に追い込まれ、皆われを忘れて勇戦した。

趙軍は、全員討死覚悟の韓信軍を打ち破ることができず、いたずらに時が過ぎた。


その間に、井けいの山中で姿を晦ました二千騎が一斉に現れ、

がら空きになっていた趙の砦へ駆け入った。

そして趙の旗指物を全て抜き取り、漢の赤旗二千本をうち立てた。



時がたてばたつほど韓信軍は痩せ細ってゆく運命であり、趙軍は単に攻め続ければよかった。

そう思って趙軍はいったん砦へ退こうとした。

が、全ての砦に漢の赤旗がひらめいているではないか。

趙兵は趙王や陳余がすべて捕虜になったかと思い、全軍恐慌状態に陥り勝手に潰走を始めた。

趙将が逃げる兵を斬ったが事態を食い止めることは出来なかった。

すかさず韓信は陣を空にして出撃し、それに呼応して砦から二千騎が出撃した。

挟撃された趙軍は惨めなほどに負け、趙兵の多数が捕虜となった。

李左車は未だ捕まっていなかったが、陳余と趙王趙歇は捕虜となった。

陳余は斬首された。



将軍たちは、敵の首と捕虜を差し出して功績を記録させると、みな韓信にお祝いを述べ、

そのついでに今回の軍略について質問した。

「兵法には『山・丘を右と後ろにし、河や沼沢を前と左にせよ』とありますが、

今回、韓将軍はその兵法とは全く正反対の陣構えをなされ、趙を大破されました。

また、井けいの中ほどで『趙を破ってから正式な食事をしよう』と仰りましたが、

我々は納得できませんでした。ところがそれで快勝しました。

一体、どういう戦術でしょうか。お教えください。」


韓信は素直に教えた。

「君達が気付かないだけで、今回の戦術は兵法に載っておるぞ。

『死地に陥りはじめて生き、亡地に置かれてはじめて存する』というではないか。

今だから言うが、わしは君達からあまり信頼されていなかった。

この有様では『町人を駆り立てて戦争をさせる』ようなものではないか。

要するに今回の戦は兵も少なく、我々は最初から死地に立たされていたのだ。

それなのに、将や兵に生きる余地を与えてしまえば、みな逃げ出すだろう。

だから河を背にして陣を布いたのだよ。」


将軍たちはみな心服し、韓信を心から尊敬した。

韓信の名は四方に喧伝され、天下を駆け巡った。


第七話へ

HOME