韓信は戦が終ると、すぐさま命令を出した。 「広武君(李左車)を殺すな。生け捕りにした者には千金を与える。」 そのためすぐに李左車は捕まり、縛られて韓信の前にひきだされた。 韓信は自ら李左車を縛っていた縄を切り、東を向いて坐らせ、自分は西を向いて坐り、 李左車を先生として立てる礼をとった。 李左車はてっきり殺されるものかと思っていたが、この礼遇には驚いた。 韓信は李左車に訪ねた。 |
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韓信 | 「それがしは北方の燕を討ち、東方の斉を討ちたいと思っております。 先生はどうすれば成功するとお考えですか。」 |
李左車 | 「………。 『敗軍の将は勇気を語ってはいけない。亡国の高官は他国の存続を計ってはいけない』 と、わたくしは聞いております。 いま、わたくしは敗残の軍、亡国の捕虜でございます。 どうして、そのような重大事にあずかれましょう。」 |
韓信 | 「百里奚は虞におりましたが虞は滅亡し、秦にいたときは秦が覇者となりました。 彼は、虞にいた頃はバカで秦に入ってから急に賢くなった訳ではありません。 彼を用いるか用いないか、彼の意見を聞き入れるか聞き入れないか、 それが虞と秦の違いでした。 先ほどの戦で、もし陳余があなたの計略を用いていたならば、 わたくしのような若輩はとっくに捕えられていたでしょう。 陳余があなたを用いなかったからこそ、わたくしはあなたのお側に 坐ることができたのです。 それがしは、心を傾けてあなたの計略通りにいたします。 どうか、辞退しないでくだされ。」 |
李左車 | 「……。 『智恵ある者も必ず千に一つの間違いがあり、愚者でも必ず千に一つの良案が浮かぶ』 と申します。だから『狂人の言葉でも聖人は用いる』と言うのです。 わたくしはこれから愚者の忠節を捧げることにいたしましょう。」 |
韓信 | 「おお!! ありがとうございます。」 |
李左車 | 「わたくしの計略が必ずしもお役に立つほどのものではないのが気になりますが、 愚案を申します。 そもそも成安君(陳余)は百戦百勝の方策を持っていながら、一朝で失敗し、 軍は惨敗し、身は水のほとりで殺されました。 今回、韓将軍は魏豹・夏説を捕えられ、一挙に井の隘路を下られ、 朝も過ぎぬうちに趙軍二十万を打ち破られ、成安君を殺されました。 その評判は全土に聞こえわたり、将軍の威は天下に轟いております。 百姓たちは国が滅びこれからどうなるか判らないので、耕作を止め鋤を投げ捨て、 美食し着飾って、耳を傾けて運命の決定を待っております。 このような事柄は、韓将軍の有利な点でございます。」 |
韓信 | 「なるほど。李先生はまことに趙の国柄に精通しておられる。」 |
李左車 | 「とはいえ、将軍の兵は疲れ果て、今は用いることができないでしょう。 今、韓将軍はぐったりとした兵を動員し、守備を固めた燕へ向おうとなされています。 戦おうとしても、恐らく戦は長引き、力ずくでは攻略できないでしょう。 そうこうするうちに軍の実情は燕軍にばれてしまい、将軍の威勢は挫かれ、 対峙するうちに兵糧が尽きましょう。 そうすれば燕だけではなく、斉も必ず国境を固めて力を蓄えるでしょう。 燕と斉がもちこたえて降服しなければ、漢王と項王の均衡は崩れないでしょう。 これらが、韓将軍の不利な点でございます。 私は愚者でありますが、燕を攻めるというのは将軍のお考え違いと存じます。」 |
韓信 | 「李先生の仰る通りです。 では、どうすればよろしいのでしょうか。どうかお教えください。」 |
李左車 | 「今は、甲冑を脱ぎ兵卒を休息させ、趙のみを制圧することです。 そして、この戦争で親を失った孤児の面倒を見てやり、 いたわられるのがよろしいかと存じます。 そうすれば百里四方から牛や酒が毎日のように献上されることでしょう。 その献上品を将校連中にご馳走し、兵卒たちにふるまわれることです。 そのようにして趙で民心を得ましたならば、燕へ向う姿勢を示し、威圧します。 その一方で弁士を燕へ派遣し、韓将軍の軍が有利である点を宣伝いたしますれば、 燕は必ずや服従するでしょう。 燕が降りましたならば、斉へそのことを告げます。 斉はきっと威風になびいて服従するでしょう。 戦争では、示威を先にして、武力行使を後にする場合がございます。 今回はそうなさるべきでしょう。」 |
韓信 | 「おお! 李先生のお蔭で、これから為すべきことが全て決まったぞ!」 |
韓信は李左車の計略を全て実行し、機を見て燕へ使者を派遣した。 燕王臧荼は勝ち目のないことを悟り、簡単に服従した。 韓信は燕のことを処理し終わると、劉邦に使者を送り、戦況を報告した。 併せて、趙で古くから人望があった張耳を趙王に推挙した。 劉邦は「尤もなことだ。」と思い、張耳を趙王の位につけた。 韓信は李左車を得て、戦わずして燕を降した。 李左車を用いた韓信と、用いることのできなかった陳余とは、人間の器が違ったようである・・・ |