第八話:呂氏の退路を絶つ



高祖が亡くなると恵帝が即位したが、母である呂后が全権を握った。

灌嬰は呂后に仕えたが、呂氏の天下を認めたわけではなかった。

周勃・陳平らと策謀を巡らし、高齢の呂后が亡くなるのを待っていた。


呂后が亡くなると兵権を握っていた呂禄・呂産らは殺されるのを恐れ兵をあげようとしたが、

歴戦の周勃・灌嬰らに勝てるか不安で決断できずにいた。

あっという間に呂氏反乱の噂が広まり、

斉王襄が真っ先に呂氏誅滅の兵を挙げ、計略で琅邪王の兵を合わせた

さらに長安にいた弟の朱虚侯劉章らが大臣らと共に呼応する企みであった。


斉王立つと聞いた呂禄らは、こともあろうか灌嬰を大将軍として斉王討伐軍を率いさせた。

灌嬰は函谷関を出てけい陽まで兵を進めると進軍を止めてしまった。

すぐさま周勃らと連絡をとりあい、斉王へは使者を出して周勃らが呂氏討伐を行うことを告げた。

また劉氏の長老であった楚王交(劉邦の弟)にも使者を出し連合した。

斉王は国境に兵を留め、灌嬰はけい陽から睨みをきかせた。


呂禄らはこの期に及んでも兵を挙げることができなかった。

そこへ灌嬰・斉王襄・楚王交が連合して呂氏に背き、灌嬰がけい陽に布陣し、

呂禄・呂産らは領国にも帰れなくなった旨詳報が入った。

退路を絶たれ呂産はようやく兵をあげようとしたが、事既に遅し。

呂氏は男女の別なく周勃・劉章らによってことごとく殺された。

クーデターの成功を聞いて斉王は兵を引いた。


灌嬰は、早まって斉王が兵を挙げたのは斉の中尉魏勃が王をそそのかしたからである

と聞き魏勃をけい陽に呼び出した。

魏勃は中尉でありながら権力は斉の宰相を凌ぐと言われた男である。

灌嬰は人物次第では斬ろうと思っていたのかもしれない。

魏勃がやってくると、灌嬰は魏勃を睨みつけ斉王をそそのかした事実を問い糺した。

魏勃は灌嬰の威厳にすくみ上がり、足が震えだした。

ようやく、「社稷の危機を救うのに、許可を得ている暇は無い。」という意味の言葉だけを吐き

また恐れて黙ってしまった。

灌嬰は挙動不審の魏勃をじっと見ていたが急に笑い、

「人は魏勃を勇敢であると言うが、ただの凡人である。」といって放免した。

灌嬰は長安へ戻った。





HOME 第九話