馮氏は、戦国韓の上党郡太守だった馮亭から始まる。 秦は上党郡を攻め孤立させたが、馮亭はそのまま趙へ降った。 趙は馮亭を華陽君とし、秦軍の侵攻を防がせた。 しかし馮亭は長平の戦いで戦死し、一族はばらばらとなった。 秦に入った馮氏では、馮無択(秦の武信侯。始皇帝に仕える)・ 馮去病(右丞相。始皇帝・二世に仕え、最後は二世を諌めきれず自殺)・ 馮劫(将軍。始皇帝・二世に仕え、最後は二世を諌めきれず自殺)が名を現わした。 また漢書高帝本紀に、馮無択の子の馮敬が魏豹の騎将となって登場する。 劉邦には、賢いが灌嬰には敵わないだろうと評され、その通り韓信・灌嬰に負け捕虜となっている。 趙にとどまった馮氏は、そのまま趙に仕え官帥将(100人の兵隊長)となり、 その子は代の宰相となった。 趙・代が滅び、秦が起こり漢がとってかわると、一族は安陵(長安近郊)へ移住した。 劉敬の策で移住させられたのかもしれない。 代の宰相の子が今回取り上げる馮唐である。 |