馮唐は老いてはいたが孝行で名を知られ、認められて郎中署長となった。 ある時、文帝が輦(てぐるま)に乗って郎中署を訪れ、馮唐に目をとめた。 |
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文帝 | 「ご老体はどういう経緯で郎になったのか?出身はどこか?」 |
馮唐 | 「臣の一族は趙の出で、父とともに代へ移り、現在は安陵におります。 私は孝であると人に推挙され、郎となりました。」 |
文帝 | 「ご老体は趙の人であったか。 わしがまだ代王だった頃、尚食監(膳部係か)の高がわしの為に 趙将李斉の賢明さや鉅鹿での戦いの模様をよく語ってくれた。 今でも食事の度に鉅鹿の戦いを思い出すのだ。 ご老体は李斉をご存知かな?」 |
馮唐 | 「李斉は、廉頗や李牧には及びません。」 |
文帝 | 「それはなぜか?」 |
馮唐 | 「臣の祖父は趙に居たときに部隊長を務め、李牧と親しくしておりました。 また父は代の宰相を務め李斉と親しくしておりました故、 臣は二人の人柄を知っているのです。」 |
文帝 | 「おお、なるほど。 私の為に李牧・廉頗を語ってくれぬか。」 |
馮唐は、廉頗の勇壮や過ちを受け入れて藺相如と刎頚の交わり結んだことを語り、 また李牧の無私や匈奴を完膚なきまで叩いたこと、秦の侵略に対して防御しきったことを語った。 匈奴の度重なる侵略に頭を悩ませていた文帝は、深く感じることがあり言った。 |
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文帝 | 「嗚呼!私が廉頗や李牧を臣下とし、将軍とすることは今はもうできないのだ。 廉頗や李牧がいれば、匈奴のことで頭を悩ますこともないのだが。」 |
馮唐 | 「恐れながら、陛下は廉頗・李牧を手に入れても、 充分に使いこなすことはできないでしょう。」 |
文帝 | 「なんだと!!!!?」 |
怒った文帝は郎中署を出て禁中へ帰ってしまった。 |