第五話:智豈可專邪


劉敬は匈奴の地から帰るとすぐに進言した。

劉敬 「匈奴の部族で、河南(オルドス地方)の白羊王・楼煩王の二国は

最も近いところで長安から七百里しかなく、

軽騎兵ならば一昼夜で秦の故地に到達できます。

秦の地は戦乱で破壊され、民は少なくなっていますが、

土地は肥沃ですから、人口を増やし充実させることができます。」

劉邦 「なるほど。」

劉敬 「陛下をはじめ、諸将が秦に対して決起した頃、

斉の田氏、楚の昭・屈・景氏などの王族の協力がなければ

成功できなかったのです。

現在陛下は関中に都を置いておられますが、関中は人口が少ないのです。

北は匈奴に近く、東にはもとの六国の王族でいまだに強力な者がおります。

いったん変事があれば、陛下は枕を高くしてお休みになることはできません。」

劉邦 「ふむ。ではどうすればよい。」

劉敬 「斉の田一族、楚の昭・屈・景一族、もとの燕・趙・韓・魏王の子孫・王族、

および豪族・名家の者たちを関中に移住させ、長安を充実させるのです。

泰平のときには彼らを匈奴に対する備えとし、

諸侯に叛乱があったときにはこれらの者を動員して東征できましょう。

これが、『彊本弱末』(大もとを強くし末端を弱める)の術策なのです。」

劉邦 「よし。わかった。

強制移住の件、おまえに任せた。」


こうして劉敬は全土の名族十余万人を関中に移住させ、漢代安泰の基礎を築いたのである。



司馬遷は言う。

「夫高祖起微細、定海内、謀計用兵、可謂盡之矣。
そもそも、高祖は微賤から身を起こし、海内を平定し、戦略・用兵を知りぬいていたと言ってよい。

然而劉敬脱輓輅一説、建萬世之安、智豈可專邪。」
しかし、劉敬が車の引き綱から身を外して献策すると、万世に至る安泰が築かれたのである。
智謀は一人が独占できるものではなかったのだ。



HOME 第八氏