ある時、太子(後の景帝)が梁王(劉武。こちらを参照)と馬車に乗って参内し、 司馬門で車から降りずにそのまま通過したことがあった。 規則では、下車して歩いて潜らなければいけなかった。 張釈之は、この皇子二人を追跡して車を停めさせ、宮廷に入れなかった。 そして「太子と梁王は司馬門で下車せず、不敬罪に当たる。」と上奏し弾劾した。 これを聞いた薄太后は驚き、すぐさま息子の文帝を呼んだ。 文帝は冠を脱いで、「申し訳ありません。子息の教育が不行届きでございました。」と謝った。 薄太后は使者に詔を持たせ、「太子と梁王を赦す。」と張釈之に伝えさせた。 太子と梁王はようやく宮中に入ることができた。 文帝は、張釈之を人によって法を枉げない立派な人物だと判断し、 中大夫(皇帝の顧問役)に任命した。 |