第十四話:暗殺


呉楚の乱が収まると景帝は従兄の子の平陸侯であった劉礼を楚王に立て、袁おうを丞相に任じた。

おうはあるとき楚王に進言したが、聞き入れられなかったので病気と偽って辞職した。

そして郷里の安陵に引きこもって庶民と同じように暮らし、闘鶏や犬競争を楽しんだ。


そんな中、洛陽の大侠である劇孟が袁おうを訪ねてきた。

おうは喜び、盛大にもてなした。

後日、それについて同郷のある金持ちが怪訝そうに袁おうに聞いた。

金持ち 「劇孟という男は、ただのばくち打ちだと聞きますが。

袁将軍はなんであのような男とお付き合いなさるのですかな。」

おう 「劇孟は確かにばくち打ちだが、彼の母親が亡くなったとき会葬者は数え切れず、

駆けつけた馬車は数千台であったという。

このことから見ても彼には何か非凡なものがあるはずだ。

人はだれでも変事に遭遇することがあるものだ。そんなとき、全てを捨てて危険を冒して

危急を救ってくれるのは、ただ季心(季布の弟)と劇孟だけではないか。

あんたは常に数人の騎馬の男を連れているが、変事が起こったとき頼りにできるのか。」


そう言うと袁おうはその金持ちと一切の交際を絶った。

人々はみな袁おうを賞賛したという。


おうは無官であったが影響力は大きく、景帝は度々使者を遣わせて

政治上の問題について意見を求めた。

梁王劉武は景帝の実弟で母の竇太后にも気に入られており、景帝の後継を狙っていた。

竇太后も彼を後嗣にしようと考えており、景帝も酒席で弟に後を継がせると言ってしまった。

しかし袁おうは景帝の御前に出て、弟を後継ぎにするなど言語道断であると激しく反論した。

大臣たちも次々と反対を表明した。

これにより竇太后も劉武を後嗣にすることを諦め、議論はまったく打ち切られた。


劉武はこれを逆恨みし、刺客を送って袁おうや大臣達を暗殺しようと企んだ。

(このことからも劉武がいかに周りが見えていなかったかが判る。)


劉武の刺客が都へやって来て袁おうのことを色々と探っていると

みなが袁おうを褒め称え、良い評判しか聞かない。

その刺客は暗殺を断念して、袁おうに面会を求めて真実を告げた。

刺客 「私は梁王から金をもらって、あなたを刺殺しに来た者です。

しかしあなたは徳義に篤く皆が褒め称え、私はあなたを殺す気にはなれません。

しかし私の後続の刺客は十数人もおりますゆえ、ご用心を。」

おう 「そうか・・・。」


その後、袁おうは心穏やかでなく家でも怪しいことが続いたので、名占師のばい先生に占ってもらった。

その帰り道、安陵の門外で梁の刺客に刺し殺された。

梁王劉武を後嗣にすることに反対した大臣達十数人も次々と暗殺された。


景帝は実弟が犯人であると確信し、田叔を梁へ遣って事件を調査させた。

田叔は厳しく劉武を追及し、怖れた劉武は家臣を自害させ張本人として首を差し出した。

景帝は報告を受け、弟を激しく怨んだ。

劉武は恐懼し、母の竇太后や実姉妹を通して景帝に謝罪した。(これまたセコイ男・・・。)

結局、景帝は母親のごり押しで弟を許したが、嫌悪感は増し弟を遠ざけた。

その後、兄に嫌われたまま都にも留まれぬまま劉武は熱病を病み、虚しく死んだ。

劉武が死んだとき、梁の倉庫に蓄えられた金は四十万斤を越え、

他の財産も同様であり計算することができなかったという。


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