第九話:讒言再び



天下が定まったあと、功臣粛清の嵐が吹き荒れた。

狙われたのは、軍隊を動員できる王位にあった功臣である。

始めに潰されたのが、燕王臧荼。次に廃されたのが楚王韓信だった。

陳平は臧荼討伐、韓信逮捕で奇策を出し、策が見事に決まった。

劉邦はその功績を讃え、戸侯に封じようとした。

しかし陳平は断った。

陳平 「これは私の手柄ではありません。」

劉邦 「わしは陳先生の献策を用いて戦に勝ち乱を治めたのだ。

これは立派な手柄ではないか。」

陳平 「私が漢に投降したとき、魏無知どのが私を推薦してくれました。

そして私が謗られたとき、魏無知どのが私の潔白を証明してくれました。

魏無知どのがいなかったら、私のような者は用いられなかったでしょう。」

劉邦 「ははは。陳先生のような人を『もとにそむかぬ者』と言うのだろう。」

そこで劉邦は魏無知に恩賞を与え、陳平も戸侯になった。



功臣粛清はまだまだ続いた。

代王韓王信は猜疑されていることを知り、匈奴に逃げ込んだ。

劉邦は追撃し平城まで行ったが、単于(匈奴の総帥)に七日間包囲され、凍傷と飢えに悩まされた。

ここで陳平は、

「単于の正妻の閼氏(えんし)に賄賂を贈り、包囲を解いてもらうように夫に頼んでもらう」

という、なんとも奇怪な策を進言し、採用された。

陳平は代討伐の前に匈奴情報をかき集めていたのか、

それとも単に単于が尻に敷かれていたのを知っていたのか・・・(^-^;;

ともかく、この計略は成功し劉邦は無事逃げることができた。


帰途、劉邦は曲逆(きょくげき)に立ち寄り、その景色の雄大さに感動し、

陳平を曲逆侯に栄転させた。

曲逆の街は現在の河北省完県にあたり、濡水と蘇水・蒲水が交わる所である。

濡水は東流しているが、曲逆で大きくカーブして180°向きを変え西流している。

街の名前の由来はそこから来ているという・・・。



五年後、劉邦は淮南王黥布・陽夏侯陳を討伐した。

陳平も護軍中尉として従軍し、度々奇策を出し、そのたび毎に所領を増封された。

この戦で劉邦は流れ矢に当たり負傷した。長安に帰ったものの、傷が悪化し重態となった。

そんなとき、燕王盧綰が叛いたという情報がはいった。

劉邦は樊に兵を授けて燕討伐に向かわせた。

が、樊が出発したあとに讒言する者がいて、病める劉邦は激怒した。

「樊のヤツめ、わしが死ぬのを望んでいやがるな。」

そして陳平を呼び、「陳平は樊を逮捕しその場で斬れ。周勃が代わりに軍を率いよ。」と命じた。

周勃・陳平は即座に出発したものの、だんだん不安になってきた。

陳平 「のう周勃どの。陛下は病でちょっと錯乱しているのではないか?」

周勃 「うむ。陛下の幼馴染の盧綰どのを疑って討伐なされるし、

今度は昔馴染の樊どのを斬れと命令なされる。

もし我々が樊どのを斬ってしまったら、陛下は病が治った時きっと後悔なされるだろう。

そのとき、我々の命が危ないな。」

陳平 「そうだのう。樊どのの嫁は呂后さまの妹だからのう。

間違いなく我々は殺されるなぁ。どうしたものか・・・」

周勃 「樊将軍を逮捕したらそのまま陛下に引き渡し、

陛下ご自身で裁いてもらってはどうだろう。」

陳平 「おお、それは名案だ。」

こうして二人は樊の陣の手前で樊を呼び出した。

は事態を予測していたのか、うしろ手に縛った姿で出頭した。

陳平は樊を囚人車に乗せ長安へ護送した。

その途中、劉邦が死んだ。

陳平は呂后・呂(樊の妻)の怒りを恐れて一人長安へ急行した。

「周勃と共に陽に駐屯せよ」という勅命が下っていたが、それを無視して宮中に駆け込み、

劉邦の棺前で激しく泣いた。

それを見ていた呂后は陳平に哀れみを感じ始めた。

陳平は頃合を見計らって樊逮捕とその一部始終を劉邦の棺の前で報告した。

呂后は陳平を哀れみすでに憎しみは消えていたために、

「役目、ご苦労であった。さがって休みなさい。」と労わって言った。

しかし、陳平は呂后の恐ろしさを知っていたので強引に宮中に寝泊りして日夜泣き続けた。


は長安に着くと罪を赦され(元々無罪だが)、爵位・領地は返還された。

それでも妻の呂は陳平を恨み、何度も姉の呂后に讒言した。

が、呂后は陳平の誠意を信じ込んでいたために聞く耳を持たなかった。


こうして陳平は呂后に殺されずにすんだのである。

逆に呂后に気に入られ、郎中令(帝の護衛官)に任命され恵帝のお守り役を命ぜられた。


ここまでくると、陳平の渡世術は芸術的である・・・


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