高祖劉邦が死に恵帝があとを継いだ。恵帝二年に相国蕭何が死んだ。 後任は曹参だったが、曹参もその4年後に死んだ。 そこで安国侯王陵(おうりょう)を右丞相とし、曲逆侯陳平を左丞相とした。 その2年後、恵帝が死んだ。 恵帝の葬式の時、我が子の死なのに呂后は涙を見せなかった。 そのとき、まだ15歳の侍中・張辟彊(ちょう・へききょう:張良の息子)が陳平に話しかけてきた。 |
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張辟彊 | 「左丞相さま。呂后さまは一人息子に先立たれたのにも関わらず、 なんで悲しまないか知っていますか?」 |
陳平 | 「わからん。どんな理由だ?」 |
張辟彊 | 「亡くなられた恵帝には子がいませんので、 呂后さまは大臣が専横の振舞いに出るのではないかと恐れているのです。 大臣とは、あなたや王陵さまのことですよ。このままだとあなた方は誅殺されるでしょう。 禍を避けるには、呂台・呂産・呂禄らを将軍に任命し兵を率いさせ、 ほかの呂一族は宮中に入れて政務を行わせれば呂后は安心して残虐なことはしないでしょう。」 |
陳平 | 「なるほどのぅ。呂后の性格を考えると、それしかないな・・・。 しかし、その策・・・親父に聞いたな?」 |
張辟彊 | 「ははは、判りました?その通りです。」 |
こうして陳平は張辟彊の策を用いて、呂一族を要職につけた。 呂后は非常に安堵し、はじめて涙を流して息子の死を悼んだ。 このときから呂后の専制政治が始まったのであった。 呂氏は帝になりきり、詔を出し、天下に君臨した。 そして呂后は、呂一族を王にしようともくろみ臣下に質問した。 |
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呂后 | 「右丞相王陵よ。私は実家の呂一族を王に取り立てようと思うのですが、どう思いますか。」 |
王陵 | 「私は高帝(劉邦)と白馬を殺してその血をすすり、 『劉氏以外の者が王となったら諸侯と協力してこれを撃つ』と誓いを立てました。 呂氏を王に立てるのは盟約に反しています。」 |
呂后 | 「(むう、王陵の石頭め!ゆるさぬぞ・・・)左丞相陳平、絳侯周勃に聞く。 呂氏の功績を考えると王位にあってもおかしくないと思うが、どう考える。」 |
陳平・周勃 | 「高帝は天下を平定なされ、一族を王に立てられました。 そして今、太后さま(呂后)は天下に号令されています。 呂一族を王とすることに大いに賛成いたします。」 |
呂后は喜び、朝議を打ち切った。 王陵は激怒し、陳平・周勃に詰め寄った。 「私たちは高帝(劉邦)と共に白馬の血をすすり、天に誓ったではないか! 君たちもそこで一緒に血をすすったはずだ。 今、高帝は亡くなり呂后が女性ながら天下の権を握り、呂一族が天下を乗っ取ろうとしている。 君たちが呂后に媚びへつらい高帝との盟約に背くならば、 何の面目があって地下の先帝にお目見えできる!!」 陳平・周勃は、 「面と向かって欠点を指摘し朝廷で誤りを諌争することにおいては、我々は君に及ばない。 しかし、漢の社稷を全うし劉氏の子孫を安定させることにおいては、君は私たちに及ばない。」 と言った。 王陵は何も言うことができなかった。 呂后に激しく嫌われた王陵は太傅(たいふ:帝の後見役。名誉職で実権は無い。)に左遷された。 王陵は怒り、病気を理由に門を閉じ引きこもり七年後に家で死んだ。 その間、一度も参内しなかった。 王陵が右丞相の位から去ると陳平が移って右丞相となり、左丞相には辟陽侯審食其が任命された。 この審食其という男は劉邦挙兵当時から呂后に付き従い、大層気に入られている人物だった。 しかも左丞相になってからは呂后の後ろ盾を利用して権力を行使し、常に呂后の側に侍っていた。 群臣は審食其を恐れ、群臣は審食其の意のままに動いた。 陳平もあまり政治に参加せず、美人と日夜戯れ、毎日アルコール度数の高い酒を痛飲していた。 呂后の妹・呂 ![]() ![]() このことを姉の呂后に讒言した。 陳平はその噂を聞くと、ますます淫楽に耽り、毎日毎日泥酔して前後不覚になった。 呂后は、陳平が堕落してフヌケになっていると聞き、密かに喜んでいた。 ある日、陳平は呂后から呼び出された。 何事かと思って出頭してみると、呂后はニヤニヤして言った。 「世間では『女子供の言葉は本気にするな』と言っています。 私は、そなたが私に迷惑をかけなければいいと思っています。 先程、呂 ![]() 陳平は完全に呂后に信頼されたのである。 その後、呂后は一族の者を次々と王や侯に立てた。 呂台を呂王に、呂産を梁王に、呂禄を趙王に、呂通を燕王に、外孫の張偃を魯王に立て、 そして死んだ父親に呂宣王、兄呂沢に悼武王とおくりなした。 陳平は偽ってこれに同意し、呂后の意を迎合した。 こうして呂一族が天下を乗っ取るかに見えたが、実は陳平・周勃・陸賈らが密かに策を練っていたのである・・・ ![]() |