第四話:讒言



陳平は漢軍に投降しようと考えた。

劉邦は賢人を敬い奇士を好み人物を愛す、と評判であったからである。

陳平は郷里の若者6名と共に河水(黄河)を渡った。

このとき船頭を数人雇ったが、この船頭達は陳平の美丈夫ぶりを見て、

「うん?これは逃亡中の将軍ではないか?それならば高価な金品を身につけているに違いない。」

と思い、河水の上で殺して金品を奪おうと考えた。死体は河水へ捨ててしまえばよいのだ。

船頭達の様子がおかしいことに気付いた陳平は、

いきなり衣服を脱ぎ捨て全裸になり、船を漕ぐ手伝いをし始めた。

船頭達は呆気にとられ、また陳平が無一文だと判り、殺すのはやめた。

こうして陳平は危機を切り抜け、とうとう修武にいた漢軍の陣地に辿り着いた。


陳平は魏王魏咎に仕えていた頃、その親戚の魏無知(ぎ・むち)と友人になった。

魏が滅びたあと、魏無知は漢王劉邦を頼ってその傘下に入った。

陳平はまず魏無知と会い、魏無知の推挙で劉邦と会見した。

劉邦は食事を一緒にしようと誘った。

劉邦特有の人物鑑定法である。(韓信も劉邦と一緒に食事をしたことが何度もあるらしい。)

劉邦は儒者を嫌悪したほど礼法が嫌いだったとはいえ、

知らない人といきなり一緒に食事をするとは・・・。

陳平と若者6人は劉邦の思いもよらぬ厚遇に感激した。


劉邦は満腹し、「さあさあ、宿舎も用意しています。そこで休んでください。」と食事会を打ち切ろうとした。

しかし陳平は、「私は特別に進言があって来たのです。休みに来たのではありません。

今日言わなくて、いつ言えばよいのでしょう。」と言った。

劉邦は陳平に詫び、陳平の説く楚漢の情勢・今後取るべき方策を聞き、大いに喜んだ。

劉邦は陳平が項羽の下で都尉だったことから、陳平をその場で都尉に任命した。

次の日には陳平を自分の馬車に乗せ、護衛兵を監督させた。

これにより陳平の顔と名は一瞬にして広まった。

だが、古参の将たちはおもしろくなかった。

周勃・灌嬰ら、最古参の将軍もみな陳平を誹謗中傷した。

(ちなみに彼らは後年、陳平と共に漢丞相を勤める。一緒に働いていて後ろめたくなかったのだろうか・・・?)

「漢王さまは陳平という楚逃亡兵の実力を知らないうちに馬車に同乗させ、

あろうことか我々先輩の将軍達を監督させるとは!!陳平ゆるせぬ!!」

と非難轟々であった。

しかし劉邦はこれを聞くと、一層陳平を可愛がった。

「お前らにはこいつの凄さがわからぬ。」と思っていたのであろう。


その後、劉邦は項羽留守中の彭城を襲ったが項羽の超人的活躍で惨敗し、撤退した。

そんな中、陳平は次将に抜擢され韓王信の配下となり軍隊を預かった。

古参の将軍たちは益々怒り、遂には陳平の秘められた醜聞まで探り出し、

周勃と灌嬰が劉邦に讒訴した。

「あの陳平とかいう男は美丈夫ですが、冠の飾りと同じで役に立たず信義がありません。

彼は書生だった頃、嫂と密通し禁断の快楽を貪ったとか。

そして魏王に仕えたものの受け入れられず逃げ出し、

楚に駆け込んだもののうまくいかずまたしても逃げ出し、

こんどは我が漢にやって来たのです。彼は節を曲げ、信義の無い人間です。

しかも陳平は配下の将たちに賄賂を要求し、

賄賂の多い者には良い地位を、賄賂の少ない者は悪い地位につけているようです。

陳平は常に叛心を抱いている乱臣です。

こんな者を高い役職につけるのはどうかと思います。なにとぞご明察のほどを。」


この讒言は致命的だった。

劉邦は愕然とし陳平を放逐しようと思ったが、

「周勃と灌嬰が個人的に陳平に嫉妬しているだけかもしれぬ。」とも思い、

陳平を推挙した魏無知を呼び出した。


ここに陳平の運命も窮まったかに見えたが・・・


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