後宮の年中行事 〜干宝『捜神記』より〜 |
戚夫人侍兒賈佩蘭、後出為扶風人段儒妻、戚夫人の侍女であった賈佩蘭は、後宮を出たあと扶風の段儒という男の妻になった。 説「在宮内時、嘗以弦管歌舞相歡娯、競為妖服以趨良時。 彼女が語った宮中行事は次のようであった。 十月十五日、共入靈女廟、以豚黍樂神、吹笛撃筑、歌上靈之曲。 十月十五日には、揃って霊女廟に御参りして豚や唐黍を神様に供え、 既而相與連臂踏地為節、歌赤鳳皇來、乃巫俗也。 それがすむと、お互いに腕を組んで足踏みしながら調子をとり、『赤鳳皇来』を歌う、 至七月七日、臨百子池、作于樂、樂畢、以五色縷相羈、謂之『相連綬。』 七月七日になると、百子池のほとりに出て、西域の于国の音楽を演奏します。 八月四日、出雕房北戸、竹下圍棋。 八月四日になると、雕房の北口から出て、竹の下で碁を打ちます。 勝者、終年有福、負者、終年疾病。取絲縷、就北辰星求長命、乃免。 勝った人はその年は幸福になり、負けた人は病気になります。 九月、佩茱萸、食蓬餌、飲菊花酒、令人長命。 九月には茱萸を腰にさげ、よもぎ料理を食べ、菊花酒を飲みました。 菊花舒時、并採莖葉、雜黍米之、至來年九月九日始熟、就飲焉、故謂之『菊花酒。』 菊の花が咲いたときに茎や葉と一緒に摘んで、唐黍や米と混ぜ合わせて醸成させると、 正月上辰、出池邊盥濯、食蓬餌、以祓妖邪。 正月初旬の辰の日には、池のほとりで体をすすぎ洗い、 三月上已、張樂於流水。如此終歳焉。」 三月初旬の已の日には、川のほとりで音楽を演奏します。 |
後宮の年中行事ですか。 迷信がはびこる時代。でも、茱萸や菊花酒が体に良いのは本当みたいですね。 全体的にテキトーな意訳な上に、訳すら怪しい箇所も。ゴメンナサイ |