第五話:母性は偉大なり
劉邦が項羽を倒し天下を平定すると、功臣粛清が始まった。
代王の韓王信が殺されたとき、劉邦は群臣に誰を代王にするか質問した。
相国蕭何や燕王盧綰は薄姫の息子の劉恆を推した。
「皇子の恆どのは賢明で温厚です。どうか代王に立ててくださいますように。」
こうして薄姫の息子は代王となった。
しかし、薄姫自身は劉邦の後宮に残った。
この時代、後宮の女性は天子の私有物扱いをされており、
後宮の女性は勝手に後宮から出ることはできなかったからである。
その後数年して高祖劉邦が死んだ。紀元前195年であった。
主人が死ぬと女性達は後宮から出ることができたが、劉邦の正妻呂后は嫉妬深く残忍な性格だった為、
劉邦に寵愛された後宮の女性をことごとく拘束して幽閉した。
劉邦の寵愛を一身に受けた戚姫にいたっては、
手足は断ち切られ、眼球はくり抜かれ耳も潰され、喉は薬で焼かれ喋れないようにされた。
そして挙句の果てにはその死体は便所に放り込まれた。
恵帝はこれを見て病気になり死んだという。
しかし薄姫だけは後宮から出ることを許された。
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