鬼弾〜干宝『捜神記』より〜


益州の永昌郡には不韋県というところがある。この「不韋」という地名の由来には二説ある。

一つは、「秦相国であった呂不韋の子弟・一族がこの地に強制移住になった為」という説。

もう一つの説は、「南越国を滅ぼした武帝が、南越丞相の呂嘉の子孫をこの地に追いやった為」

という説だ。前者は三国志蜀書呂凱伝の注にあり、後者は後漢書地理志にある。


由来からして不思議なこの不韋県には禁水という奇妙な河があり、この河を渡った人は

必ず病気になって死んでしまう。水に毒気があるからである。

しかし11〜12月だけは渡っても死なない。どうやらこの二ヶ月間だけは毒気が薄れるようである。

また、この毒気の中には形は見えないが声らしきものを発する化け物がいて、

水中から何かをぶつけてくる。

これが木に当れば木はへし折れ、人に当れば大怪我をする。

この土地に住む人々はこれを鬼弾と呼んでいる。


永昌郡に罪人がでると禁水の護岸工事をさせるのだが、十日以上生きた罪人はいない。



このお話を読んで「ん?!!!」と思ったのは管理人だけではないでしょう。

『三国志』演義で諸葛亮が南征をしたとき、馬岱が孟獲の糧道を絶つために渡ろうとして

原因不明の死者を出した流沙口のお話と似ていませんか?

演義では「昼は毒気がでるが、夜は冷えて毒気が薄れ渡れる」というように変わっていましたが・・・。

羅貫中は『捜神記』を元ネタに使ったのかな?なかなか興味深いですね。


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