第一話:張耳の登場 |
張耳(ちょうじ)は、はじめ魏(ぎ)の首都大梁(たいりょう)にすんでいた。 そのころはまだ有名な魏の王族の信陵君(しんりょうくん:食客3000人を抱えていた?)が生きていた。 自分の才能を試してみようと血気盛んな張耳は信陵君のもとにゆき、 「私を客にしてくれませんか?」と頼み込んだ。 信陵君は度量も広く誠実な人だったので、彼を寛大に受け入れたようである。 しかし、残念なことに晩年の信陵君は、 天下統一をもくろむ秦に買収された人間の讒言により、魏の国政から遠ざけられていた。 彼は身に覚えの無い讒言をされ、それを信じた王様にも魏自体にも失望して、 自分の食客たちと毎晩のように徹夜で酒盛りをし、そのあとは淫欲に溺れ、 ほぼ自殺するようにして4年後に酒毒で亡くなった。 生きがいを失った信陵君の絶望はいかほどであったろう・・・・ 張耳はそんな時期に信陵君の食客になったのであろう。 司馬遷の「史記」の張耳・陳余列伝には、 ただ「張耳は信陵君の食客になったことがある」としか書いていない。 (きっと、信陵君やほかの食客たちと一緒になって酒を喰らっていたのでしょう。 でも、張耳は、人に慕われるための何かを、信陵君から学び取ったことは確かだと思います。) その後、張耳は罪を犯したか、人を殺したかで魏の戸籍から抜けて逃亡し、 外黄というところをさすらっていた。 彼はここで、友人で信陵君のもとで一緒だった食客の娘と結婚した。 この友人は凄い金持ちで、結婚する愛娘の為に、莫大なお金を娘に持たせた。 「地獄の沙汰も金次第」と言うように、その後張耳の罪はなぜか許され 彼は、外黄県の令(現在の知事に相当する官職)になった。 ここで彼は善政を敷き、「すぐれた人物である」との評判がさらに高まった。 (でもこの結婚で張耳は「女たらし」の悪名をたてられたそうな・・・) そして、彼はこの頃、「刎頸の友」となる陳余(ちんよ)と出会う・・・・・。 |