第二話:陳余との潜伏@
「史記」張耳・陳余列伝には二人の出会いの様子は全く書かれていない。

ただ、陳余(ちんよ)の人となりについては少し書いてある。それによると・・・

陳余も魏の首都大梁に住んでいて、儒家の学問が好きだった。

彼はよく趙の国の苦ケイという所に出かけた。

そこには大金持ちの公乗さんという人がいて、可愛い娘がいた^^。

陳余は、財産目当てか娘目当てかは分からないが、

公乗さんに認められ、娘さんと結婚することとなった。」

とある。(管理人の勝手な解釈入り)

奇しくも、刎頸の友となる張耳と同じ経路を辿っている。


ともかく、どのようにして張耳と出会ったかはよく分からないが、

二人は生死を共にする「刎頸の交わり」を交わす。

張耳の方が年上だったので、張耳を父として、陳余は子として父に仕えた。


二人の住む魏は、しばらくすると秦に滅ぼされた。

そんな時に、外黄に住んでいた張耳の元に、

顔が大きく、顔の道具振りの良い若者が食客希望でやって来た。

そう、彼こそがのちの漢の高祖劉邦(りゅうほう)である。


「私を張耳殿のお側に置いて頂けないですかね」と劉邦。

「むっ!こいつ・・・・只者じゃないぞ」と思った張耳は、

「ええ、お好きなだけ逗留して下さって結構です」と言った。

その後、劉邦は全く気兼ねせずに何ヶ月も張耳の食客として過ごした。

劉邦は、魏の信陵君が大好きだったようである。

張耳が信陵君の食客だったと知って、張耳の食客になり、

信陵君のことを機会がある毎に聞いていたのであろう。


そうしているうちに、

張耳・陳余の食客たちに、魏再興運動家や秦打倒の過激派たちが増えてきたようである。

元々、魏の名士として名高い二人だったので、秦のブラックリストにも載っていたに違いない。

彼らの不穏な動きはすぐに秦政府に察知され、遂に張耳・陳余逮捕令が出てしまう。

しかも、張耳・陳余を捕まえた者には莫大な懸賞金が与えられることになっていた。

張耳を捕まえた者には黄金千枚陳余を捕まえた者には黄金五百枚だった。


「地獄の沙汰も金次第」とばかりに世の中を渡ってきた二人は、ここで金に逆襲?される。

(しかし、こんなに莫大な懸賞金を掛けるなんて、秦当局はよっぽど二人を警戒していたんですね。

逆に、彼らの影響力がそれだけ絶大だった、とも言えるかもしれません。)



張耳と陳余は、「これじゃあ、命もあぶないぞ!」と魏から逃亡し、

姓名を変え、一緒に南方の陳(ちん)という町に逃げ込んだ・・・・・

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