第一話:越国


今回は半独立の異姓王として武帝期まで存続したびん越王・東甌王をとりあげる。


前漢でのびん越は現在の福建省、東甌は現在の浙江省にあたり、

亜熱帯海洋性モンスーン気候に属し九割が山地丘陵であり平地に乏しい地形である。

古代から人の営みがあり、独自の文化を育んできたと思われる。


今回取り上げるびん越王すう無諸・東甌王すう揺、ともに越王の子孫である。

越国は允常より歴史が明らかとなる。

允常は呉王闔廬と戦い、呉越は仇敵の間柄となった。允常が死ぬと子の句践があとを継いだ。

呉王闔廬は允常の死を聞くと越を攻撃した。

越は迎撃し、闔廬は負傷し死んだ。闔廬の息子の夫差があとを継いだ。

呉王夫差は宮殿の出入りの際には「越王句践がお前の父を殺したのを忘れたのか」と叫ばせ、

寝るときは薪の上に横たわって越に対する復讐を忘れなかった。


呉が越を滅ぼす為の準備を進めていると知った越王句践は、逆に先制攻撃をしかけようとした。

名臣范蠡がこれを諫めたが、句践は聞き入れなかった。

范蠡の見通しどおり、越は大敗し句践は会稽山に包囲された。

句践は呉に降ったが、呉の重臣を買収していたので赦された。

越に帰った後は、富国強兵に努め、王座の側に胆を置き、

飲食の時も起床するときも苦い胆を舐め「お前は会稽の恥を忘れたか。」と言った。


10年もすると越は強国となった。呉に攻め寄せ、七年後には呉を滅ぼした。

呉王夫差は山に立てこもり、包囲され自殺した。越王句践は認められて覇者となった。


その後、越国は句践―せき与―不寿―翁―翳―之侯―無彊と続いたが、楚に滅ぼされた。

越王一族は海岸沿いを占有して、楚に朝貢して臣と称した。

無彊から数えて七代目が東甌王すう揺である。


HOME 第二話