第六話:命を賭して諌める


漢の九年(紀元前198年)、叔孫通は太常から太子劉盈の太傅に遷った。

太子太傅は、皇太子の後見役であり、教育役でもあった。

叔孫通はその教養と教育者としての素質を認められたのであった。


漢の十二年、劉邦は愛妾戚姫のために、正妻呂后との間にもうけた太子劉盈を廃して、

戚姫との間にできた劉如意を太子に立てようとした。

大臣らは皆、強硬に反対した。

御史大夫の周昌にいたっては、激昂して顔を真っ赤にして大声で反対した。

「し、臣は、口ではうまく言えません。が、期、期してその不可を知っています。

へ、陛下は太子を廃しようとされますが、臣は、期、期してみことのりを奉じません。」

そして、叔孫通も強硬に反対した。

「昔、晋の献侯は愛妾驪姫のために太子を廃し、驪姫の子を立てましたが、

そのせいで晋国は数十年間も混乱し、天下の笑いものになりました。

また秦の始皇は扶蘇を太子に立てていなかった為に、趙高に遺言書を偽造され、

胡亥が即位し、自ら国を滅ぼすもとをつくってしまいました。

このことは陛下もご自身でご覧になったことではありませんか。

ただいま、太子さまには仁徳がおありで孝行でいらせられ、

このことは天下の者すべてが存じ上げております。

また呂后さまは陛下とともに艱難辛苦を舐めてこられました。

これに背を向けてもよいものでしょうか。

陛下がどうしても太子を廃して如意さまを立てたいと仰るならば、

どうか先に臣を斬り捨ててください。臣の血で地面を染めましょう。」


劉邦はまったく反論できずに不機嫌そうに言った。

「もう言うな。ほんの冗談だよ。」


しかし叔孫通は、劉邦が太子廃立を諦めていないことを感じ取り、さらに言った。

「太子というものは天下の根本であります。根本が少しでも揺らげば天下は震動いたします。

どうして天下を冗談のたねにするのですか。」


劉邦はさらに不機嫌になり言った。

「あーわかった、わかった。太傅の言う通りにするよ。」


それでも劉邦は太子廃立を諦めていなかったが、

引退していた張良の策で結局は太子廃立を思い留まらざるをえなかった。



命賭けで天子を諌めた叔孫通は、ただの腐れ儒者ではなかった・・・



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