第四話:穢れ儒者?


紀元前202年、項羽が敗死し劉邦は帝位についたが、

叔孫通は儀式に詳しいことを買われて、即位の儀式次第と式で使う用語の取り決めにあたった。


劉邦は帝となると、秦の厳しい儀礼・規則・法令を殆んど廃止して簡単なものにした。

ところが、臣下の者どもはみな元盗賊や元豪傑などの荒くれ者ばかりで、

朝廷で酒宴があると、たちまち大騒ぎになる始末。


楚漢の戦いでの手柄を争って大声で口論し、さらには喧嘩する者も多く、

酔っぱらって訳の分らぬことを怒鳴る者もいた。

挙句の果てには剣を抜き放って柱に斬りつける者まで出た。


さすがに劉邦もこの事態を苦々しく思い、何とかしようと考えていた。

叔孫通は主の気持ちを敏感に察すると、進み出て言った。


叔孫通 「儒者というものは、国を攻め城を取ることには役立ちません。

しかし出来上がった国の秩序を守り保っていくことであれば

儒者は大いに役立ちます。

魯に住む儒者たちを召し寄せて、私の弟子達とともに

宮廷儀礼の制定をやらせていただけないでしょうか。」

劉邦 「ほー。でも、そいつは難しいんじゃないか?」

叔孫通 「礼というものは時代や人情の変遷とともに

慎ましくなったり、きらびやかになったりするものです。

夏・殷・周の礼は、それぞれ前の王朝の礼を参考にして

増減したものなのです。ただ同じものを繰り返しているのではありません。

臣はいにしえの礼を参考にして、秦の礼も取り入れつつ

新しい礼を作ろうと思っています。」

劉邦 「うむむ、ワシにはよく分らん話だなぁ。

まあ、試しにやってみろ。

お前はワシが礼儀嫌いだってことは知っているだろう?

誰にでも判りやすくして、しかもワシでも実行できるものを作れ。」


こうして叔孫通は漢朝の礼儀を制定することとなった。



彼はまず孔子の故郷魯に行き、儒者三十余人を召し出した。

しかし出仕に応じない儒者が二人いた。

彼らは激しく叔孫通を罵った。

「あなたが仕えた相手は十人近くになる。しかもどの場合も主の面前で

媚び諂らい、取り入って高い地位を得ている。汚らわしい!

今、やっと天下は落ち着き、死者はまだ埋葬されず負傷者は立ち上がれない状況。

それなのに、あなたは礼楽を興そうとする。

礼楽が興るには、王者が百年間徳を積まなければならない。

私たちはあなたのやり方には我慢できない。

いにしえの道にそぐわないばかりか、汚らわしい!

帰ってくれ!私たちを汚さないでくれ!!」


叔孫通は苦笑して言った。

「はは。あなた達は真の田舎儒者だな。時世の変化を知らない。」


こうして叔孫通は召抱えた三十余人の儒者とともに長安へ帰り、

劉邦の側仕えの学者や自分の弟子百余人と一緒に礼を制定する作業に入った。


彼らは野外で大掛かりに礼の実習を重ね、工夫を凝らした。

一ヶ月あまりして、叔孫通は劉邦にこれを見せた。

劉邦は「これならワシでも出来る。」と許可し、正式に叔孫通式儀礼を採用し、

臣下全員にこれを学習させた。



そうこうしているうちに年初めの朝会がやってきた。

荒くれ者たちに叔孫通式朝廷儀礼は通用するのか?

続きは次回に・・・


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