第六話:降伏




項羽は章邯の降伏を受け入れる理由をこう語った。

「我が軍の食糧は少ない。章邯の降伏を聞き入れてやろう。」

そして古代中国王朝・殷の都があった殷墟(いんきょ)で章邯と項羽は会見することとなった。



殷墟は殷(商)王朝の古都であった。現在の河南省安陽県小屯にある。

殷は現在実在が確認されている最古の王朝である。

『史記』によると、殷は紀元前17C〜紀元前11Cまで続き、

紂王(ちゅうおう)が美女妲己 (だっき) に夢中になり悪政を布き、殷は周に滅ぼされた、とある。

古来から殷は伝説上の王朝と考えられ、実在を証明する遺跡は無かった。

しかし、1928年から殷墟の大規模発掘が行われ、殷王朝の宮殿や王族の墓が発掘された。

 この発掘によって伝説と考えられてきた『史記』殷本紀の記述はまったく正しいと証明された。

ウンチクをたれてもつまらないので本題に戻ろう。



項羽は、もちろん殷墟がどういう場所か知っていた。

もちろん章邯も殷墟がどういう場所か知っていた。

殷が悪政で民心を失い、王朝が交代した、という象徴的な場所である。

秦が悪政で民心を失い、天下は楚によって統一されようとしていた事情とよく似ている。

項羽はそういった意味も含めて、殷墟を受降の場とした。



章邯は項羽の幕舎に独り入り、降伏して共に秦を攻めることを言上した。

章邯は項羽の性格を聞いていたので、てっきり殺されて晒しものにされるのかと思っていたが、

項羽は自分と対等の位置に座り、手厚く章邯をもてなし、

今までの戦いぶりを褒め称え、優しい言葉をかけた。

項羽は政治的配慮で虚言を弄したのではなかった。


章邯は感動し、思わず涙をこぼした。涙は止めどなく溢れ出た。

咸陽を出てから今まで、秦の宮廷で誰がこのような優しい言葉をかけてくれたか。

もらったのは、二世の叱責の言葉と、趙高による殺意だけだった。

深い孤独の中でもがき続け、ひとり悩み続けた。

そんな自分を優しくいたわってくれた人はいなかった。


章邯は取り乱した。

章邯 「項将軍は、秦宮廷を牛耳る趙高という宦官を知っておられますか。」

項羽 「おお、知っていますとも。ヤツは天下を混乱に陥れた張本人。

八つ裂きにしても足りないくらいですな。」

章邯 「私は彼に嫌われたために、

秦のために戦えば戦うほど、罪が重くなりました。

功を立てても、死。立てなくても死。

行くもかえすも死あるのみでした。

私はこんなに国を想い、人民を想っているのに、

趙高は宮中での権勢だけを考え、私を政敵と見なしました。

彼は宮中で鹿を馬と言い張り、従わなかった者をことごとく誅殺しました。

さらに私の使者を殺そうとして失敗したため、私の家族はもう誅殺されたでしょう。

趙高の奸佞、もはや誰にも止められませぬ。」

項羽 「章邯どの・・・・・・。

あなたが全身全霊をもって秦のために戦ったことは諸人が見て知っている。

私はあなたを尊敬している。

みな、あなたの真心を知っているのですぞ。

趙高は我々で滅ぼせばよい。

今は休養を取り、じっくりと英気を養ったほうがよいでしょう。」



そして、すぐさま項羽は章邯を王に任命し、秦を滅ぼしたら雍の地を与え雍王にすると明言した。

さらに章邯の部下の司馬欣を上将軍に任命し、章邯の20万の兵を率いさせた。


項羽の待遇は、驚くほど手厚かった。


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