第四話:趙反乱軍を完全包囲 陳勝・項梁と、反乱軍首魁を次々と斬った秦軍はその余勢をかりて趙へ向かった。 趙では武臣が王位にあったが、実権は張耳と陳余が握っていた。 章邯は、趙を実質支配する張耳陳余を甘く見ていなかった。 彼らは秦最盛期から命懸けで反秦運動を行っており、その影響力は無視できなかったからである。 章邯は攻め寄せる前に趙を弱体化させる策を考え、実行した。 趙王武臣の将軍の李良に、「二世からのものだ」と偽って手紙を送ったのだ。 その内容には、「お前は朕に仕えて高位に登り寵愛を得た。李良よ、もし趙に叛き秦に戻るならば、 罪を赦し再び高位につけることを約束する。」と記されていた。 李良は狐疑して容易には信じなかったが、結局反乱を起こした。 不意を衝いて趙の都邯鄲を襲い、趙王武臣を殺した。 しかし、張耳陳余は取り逃がした。人々が匿ったからである。 章邯の心配は当たった。張耳陳余は真に趙人の心を掴んでいたのである。 張耳陳余はすぐさま散り散りになった趙兵をまとめ、瞬く間に数万の軍勢を手に入れた。 李良はこれを攻撃したものの惨敗し、章邯のもとへ逃げ込んだ。 章邯は、改めて張耳陳余の恐ろしさを知った。 ************ ************ ************* ************ |
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| 章邯軍は邯鄲に入城した。 趙都であった邯鄲は、天下有数の要害であった。 章邯は「今後も邯鄲に籠っての反乱があるだろう。」と思い、 住民全員を強制移住させ、 秦兵20余万を土工に変身させ、邯鄲の城壁を徹底的に破壊した。 邯鄲は野となった。 章邯は、張耳陳余が籠る信都に進軍を開始した。 信都では「章邯来たる」の報が広まると動揺が走り、 張耳は鉅鹿に逃げ、陳余は北方に兵を集めにいった。 |
![]() 章邯関係地図 |
しかし章邯はなおも慎重で、鉅鹿から少し離れた棘原に布陣し、 鉅鹿には将軍王離(名将王翦の孫)、蘇角、渉間を派遣し、完全包囲させた。 そして章邯は秦兵をまたもや土工に仕立て上げ、 黄河から鉅鹿の秦陣地に至るまで甬道(城壁付きの食糧輸送専用道路)を築かせ、 包囲軍に兵糧を送り続けた。 (管理人思うに、章邯の軍事能力の恐ろしさは甬道を開通させたことを見ても判る。 こんなことを考えた人物は彼以前には存在しなかった。) 鉅鹿は兵糧が尽き、悲鳴をあげ続けた。 張耳は自らの外交能力をフルに働かせ、斉・燕・代・楚に出兵を要請した。 果たして、各国反乱軍はやって来た。陳余も北方で集めた兵を率いてやって来た。 が、これこそ章邯の思う壺であった。 章邯は、鉅鹿城外に各国反乱軍をすべてを集め、 鉅鹿を落とした後にすべてを叩き潰すつもりだったのだ! 各国反乱軍は、鉅鹿を囲む秦正規軍を見て戦意を喪失した。 甬道は延々数十キロにわたって続き、兵糧は次々と運び込まれ、 20万の兵士が整然と陣を構えていたからである。 各国援軍は秦軍に比べると、どこも少人数であった。 彼らは章邯軍の手の届かない場所に陣を築き、どうやって怪我を避けるかしか考えなかった。 陳余もまた、戦意を喪失し鉅鹿陥落見物を決め込んだ。 張耳は激怒し決死の使者を出したが、陳余は人変わりし出兵を断った。 こうして、遂にすべての反乱軍が鉅鹿に集まり、章邯の反乱軍討伐は終ろうとしていた・・・ |
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