第三話:項梁を殺す




陳勝が死んだあと、項梁が後継者となった。

項梁は陳勝以上に統率力があり、反乱軍は瞬く間に数十万に膨れあがり、

北進して胡陵に至り、そこからさらに西進しようとした。

そうはさせるかと、章邯は栗に軍を進めた。

項梁は朱鶏石と余樊君の二将を派遣して、章邯軍の進撃を食い止めさせたが、

二人は惨敗し、余樊君は戦死し、朱鶏石は逃げ帰ったものの誅殺された。

そこで項梁は全軍を率いて薛の街に入った。

薛で項梁は楚の王族熊心を担ぎ出し懐王に即位させ、自らは武信君と名乗った。

反乱軍の楚は益々強盛を誇り、章邯でさえ迂闊に手を出せなくなっていった。


そこで章邯は、常に負けたふりをして逃げ、相手に慢心を起こさせ、

その隙を突いて相手を粉砕する、という策に出た。

この戦略的撤退はかなりの統率力が必要とされ、一歩間違えれば全滅しかねない策だった。



項梁は亢父を攻め、これを簡単に屠った。

さらに北進して東阿に至り、ここでも秦軍を破り、東阿を陥落させた。




項梁は勝利に酔い、危険地帯に入り込んでいるのに気が付かなかった。

宋義という者だけは、「こんなに章邯が弱いはずがない。」と気付いていて、

項梁に諫言したが、慢心を起こしていた項梁は聞く耳をもたなかった。


さらに項梁は軍を真っ二つに割き、自分は本隊を率い、別働隊は項羽と劉邦に率いさせた。

章邯にしてみれば、策が的中し「してやったり!」であった。

軍を真っ二つに割くなんて愚の骨頂であり、各個撃破すれば済むことであった。

しかし、やはり項梁は慎重で、本隊は東阿に残し動かないでいた。

「いまだ勝機至らず」と、章邯はまだ我慢して敗走を演じ続けた。

慎重さ比べ、我慢比べであった。


が、別働隊の項羽・劉邦から、「秦の丞相李斯の息子、李由を斬りました。」との報告があると

さらに慢心が昂じ、定陶に向かって進撃を開始してしまった。

李由が斬られたのは、章邯が秦の全兵力を自分のもとに集結させ、

章邯が布陣している定陶以外では守備兵が疎らになっていたからであった。


それでも章邯は敗走を演じた。

定陶では項梁に負けたふりをし、城外へ退却した。

項梁は何の疑いもなく定陶の城に入り、凱歌をあげた。


ここでやっと章邯は反撃に転じた。

秦の全兵力をもって、蟻一匹這い出る隙間もないほどに定陶を包囲した。

項梁軍はみな驚愕し、為すすべを知らなかった。

今まで散々に撃ち破ってきた章邯軍が、どこからか大軍を率いて完全包囲したのである。

項梁以下、兵卒に至るまでみな章邯の策にはまったことを悟った。

章邯はすぐさま総攻撃をかけ、簡単に定陶を屠り項梁を殺した。

項梁との我慢比べは、章邯の勝利に終わった。

そしてこの戦いで章邯の名声は一気に高まり、反乱軍はその名を恐れた。



こうして章邯は、反乱軍二大巨頭陳勝・項梁を殺した。

残るは、趙で気勢をあげる張耳・陳余だけであった・・・


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