関中・漢中は大飢饉から脱し、人々は豊作を喜び蕭何を讃えた。 そして未だ飢饉に苦しむ中原へ穀物を渭水・河水を使って次々と輸送し、 劉邦軍の食料を補給し続けた。 劉邦は戦に弱く、何度も軍を失って、もしくは軍を捨てて逃げ惑ったが、 そのつど蕭何は三秦・漢中・巴蜀で兵を徴発し、劉邦軍を立て直した。 度重なる民間からの兵徴発にもかかわらず、三秦・漢中・巴蜀では蕭何を怨む者はいなかった。 彼はそれほどまでに人々の心を掴んでいたのである。 しかし、留守を任せている蕭何が人心を掌握していると聞くと、 劉邦は密かに蕭何を疑い始めた。 項羽と陽で対峙しているとき、劉邦は度々使者をだして蕭何を慰労した。 蕭何は、あまりにも何度も慰問の使者が来ることを訝しみ、密かに恐れを抱いた。 そのとき、蕭何の客であった鮑生(名は不明)が蕭何に進言した。 |
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鮑生 | 「漢王は戦場で風雨に晒されながらも、度々使者を出してあなたを慰労するのは、 あなたが反乱を起こすのではないか、と疑っているからです。 あなたは今すぐ自分の子・孫・兄弟のうち軍務に耐えうる者を すべて戦地に行かせないと、あなたの身が危険です。 あなたの一族がすべて漢王の下に行けば、漢王はますますあなたを信頼し、 誅殺の憂き目を見ずにすむでしょう。」 |
蕭何 | 「・・・・・・・・・。そう・・・ですか。 私はそこまで疑われているのですか・・・。 でも仕方がありませんね。私の権力は誰よりも強い。 漢王が疑うのも当然かもしれません・・・。」 |
鮑生 | 「丞相・・・・・・。そんなに落ち込まないでください。 あなたの誠実さは漢王が一番よく知っているのです。 いま、漢王は関中を何年も留守にしているため、ふと疑念がわいたのでしょう。」 |
蕭何 | 「わかりました。 あなたの仰る通り、私の一族はすべて漢王に従軍させましょう。 そうすれば、漢王も安心して項羽と戦える。 鮑先生の進言、ありがたく受け止めます。」 |
蕭何の一族の男子はみな戦場へ向かった。 三秦に残ったのは、蕭何・一族の女・子どもだけとなった。 劉邦は非常に喜び、蕭何への疑念は一時的に解けた。 一見、劉邦の性格は寛容で明朗な感じを受けるが、蕭何伝を読むとそうではないことが判る。 疑い深く、なかなか人を信用できない暗い一面が窺える。 しかし、蕭何は彼の猜疑心を打ち破るほどの誠実さを持っていた。 その話はまた後で・・・ |