第四話:柱石


劉邦は楚の懐王(名目上の盟主。実権は項羽が握る)の傘下に入り、信任されて秦討滅を項羽とともに任された。

項羽軍はいったん北上して章邯率いる秦軍と戦ったが、

劉邦はいきなり西進して咸陽を目指した。

劉邦は気の毒なほど戦下手だったが、途中で張良を得て武関から秦に乱入した。


その間、蕭何は兵糧・武器の補給をすべて任された。

蕭何は略奪による無計画な兵糧補給はせず、財物の略奪・民を捕虜にすることをも全面的に禁止した。

このために劉邦に対する民の人気が大いにあがった。

しかし、項羽には蕭何のような人材がいなかったために、公然と略奪し兵糧をまかなった。


劉邦は覇上で秦の三世・子嬰を降すと、そのまま咸陽に入った。

劉邦は女好きの異名を持つ通り、真っ先に後宮に向かい、

諸将はみな争って宝物庫に向かい、金品を分配する取り決めを勝手にした。

しかし、蕭何だけは違った。

蕭何は丞相・御史の役所に駆け込み、秦の法令・全国の各地図・戸籍簿などをすべて接収した。


この3つの行動パターンを見ていると、人間とは面白いものだとつくずく考えさせられる。

まず、劉邦は財物には目もくれず、美女一直線であった。

劉邦らしく、欲望と行動が直結している。

また、宝物庫に駆け込んで勝手に金品を略奪しようとした諸将の行動も興味深い。

欲望で人は動くものだと考えさせられる。

最後に、蕭何の行動である。

この行動を見ていると、彼の高い気概と、

常に民のことを考え大局的な見地に立っていることが窺える。

蕭何は、項羽が咸陽に入れば全てを破壊し焼滅すると知っていた。

そして、そこから項羽と劉邦の長い争いが始まることも知っていたのである。

劉邦軍の中で、長期的な目で物事を見る能力では蕭何に勝る人物はいなかったであろう。

司馬遷も、「劉邦が天下の要害、人口の多少、土地の強弱、民が何で苦しんでいるかを

詳しく知り得たのは、蕭何が秦の地図文献類をすっかり入手したからである。」と手放しでほめている。


また蕭何は、張良と自分の能力だけでは天下を平定するには足りないと知っていた。

張良の戦略を理解でき、さらに実戦では臨機応変の対応が取れ

補給に長じた人材が必要であると思っていた。


そこへひょっこり現れたのが韓信であったのだが・・・



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