第一話:生真面目蕭何 |
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蕭何(しょうか)という人は、劉邦と同じく沛県の豊邑の出身である。 狭い村の中ゆえに、悪名高い劉邦や盧綰らについて蕭何は幼いころから知っていたはずである。 もしくは、実際に何度か劉邦と遊んだかもしれない。 小さい頃から生真面目な性格だったらしく、 「竜の子」と噂された劉邦を不思議がっていたかもしれない。 まあ、『史記』には劉邦の竹馬の友は盧綰だったとしか書いてないので、 詳しいところはよくわからない。 蕭何は経済的に余裕のある家の出だったらしく、法律を勉強して豊邑では一番の秀才となった。 しかし流行の法家思想を奉じた訳ではなく、生真面目ではあったが純粋で優しい性格であった。 成人してからは、法律に通暁しているとの評判から秦の地方公務員に採用された。 公務員といっても、沛県の下級文官であった。いわゆる小役人というやつである。 彼の仕事は、官吏の功労を審査し、木簡を削って記録することであった。 蕭何は生真面目にこの単調な仕事をこなし、平凡でこれといったこともない毎日を送っていた。 蕭何の仕事仲間には、曹参・夏侯嬰・任敖らがいたが、みな沛出身で気心知れた人達であった。 その中で、夏侯嬰が劉邦の魅力に傾倒しきっていた。 夏侯嬰は仕事中でも劉邦の元に立ち寄り、話に夢中になっていた程である。 夏侯嬰は上司の蕭何に遭うたびに劉邦のことを話した。 が、蕭何は劉邦をまるで評価していなかった。 蕭何には、劉邦は大嘘つきの一文無しのゴロツキの大親不孝者としか思えなかった。 家業を手伝いもせず、沛の街をほっつき歩き、無銭飲食を繰り返し、強盗や殺人者とつるみ、 どこからどう見ても片足・・・いや両足をアウトローの世界に突っ込んでいるとしか思えなかった。 あるとき、沛県へ有力豪族の呂公(りょこう)がやってきた。 呂公はもともと単父に勢力をもっていた豪族であったが、仇を避けるために沛へ来たようである。 ともかく、沛県をあげて接待することとなった。 特に沛県県令は、自分の客として自宅で呂公をもてなさなくてはならない。 県令は、接待のすべてを部下の蕭何に任せた。 このことからも判るように、蕭何はこまごまとした心配りのきく人だったらしい。 沛県のお偉方は、県令のもとに珍客がいるらしいと聞き、みなこぞって県令の家を訪れた。 蕭何は来賓来客の名簿に名前を書き込んだり、席を割り当てたり、と大忙しであったが なんとか仕切り終えホッと一安心していた、その時である。 外で何やら騒ぎが起こっている。 何事かと思って外へ出て見ると、そこにいたのは劉邦である。 彼は手に何か持っている。 劉邦はおもむろにそれを蕭何に手渡した。 それには『お進物料、一万銭。』と書かれてあった。 蕭何は呆れを通り越し、腹が立った。 この大男は無銭飲食で有名であり一文無しであることは明白である。 どうせ、呂公歓迎の宴会でウマイ飯でも食ってやろう、と思ってこんなハッタリをかましたのだろう。 しかし、生真面目過ぎる蕭何である。取り次がないわけにはいかない。 仕方なく呂公に劉邦を紹介することとなった。 蕭何は座に戻り、呂公に木簡を手渡した。 呂公は木簡に書かれた「一万銭」の文字を見て飛び上がった。 玄関まで飛ぶように走り、劉邦を抱くようにして迎え入れた。 そして劉邦の顔を見て感嘆の声を漏らし、尊敬の念が沸き上がってきた。 その様子を後ろから見ていた蕭何は、呂公がだまされているのを見てそっと言った。 「あの劉季(劉邦の字)は、いつも大言を吐いていますが、何一つ実行できたためしがありません。」 しかし、呂公は聞いていなかった。 一万銭の気持ちで自分と親交を結ぼうとする劉邦にぞっこんだったのだ。 宴会も終わり来客も蕭何もみな帰った頃、呂公は劉邦を引き止めて自室に呼んだ。 |
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呂公 | 「いやいや、私は人相を診るのが好きなのですが、 今まであなたほど高貴な相は見たことがない。うーむ。」 |
劉邦 | 「はっはっは、そうですか。 お言葉はありがたいのですが、例の一万銭、あれは嘘ですぜ。」 |
呂公 | 「いやいや、お金のことはどうでもいいのです。 それより、どうか私の娘を嫁にしてやってくれませんか。 容姿には自信がありますゆえ、お願いいたします。」 |
劉邦 | 「へっ?急に言われても・・・。 でも可愛いのか・・・へへ・・・んじゃ、嫁に貰おうか。」 |
こうして劉邦はどういう訳か、呂公の娘の呂娥(後の呂后)を娶ることとなった。 後日、蕭何はこの話を噂で聞き、一人悩んだ。 あの不真面目嘘つき人間のどこが魅力的なのだろうか? 夏侯嬰や任敖ならまだわかる。 なぜ呂公までもが・・・・・・? 蕭何は大いに混乱した。 が、何日かしてようやくわかってきたことがあった。 秦の世が終わりそうだ、ということである。秦が権力を失い天下大乱に陥ったら、沛はどうなるのか。 おそらく流民・盗賊がなだれ込み、略奪の嵐になるであろう。 それを避けるためには自衛しなければならない。その頭目に劉邦が必要なのではないか? 呂公は、劉邦の子どものような純粋さで透き通るような人柄を見て、 こいつなら・・・、と思ったのではないか。 大乱は近い・・・。 蕭何は自分から劉邦と友人になろうと決めた。 そして劉邦を真人間にするために、あらゆる努力をしようと思った。 |