第四話:謹厳


景帝の末年、石奮は老齢のため辞職して隠居した。

しかし、景帝はこの師父に名誉職として上大夫の禄を与え、祝祭日に参内する特権を与えた。


歳をとっても石奮の謹厳さは変わることはなかった。

宮殿の門をくぐる際には必ず馬車から降りて小走りに進み、

帝が乗る馬車の馬を目にした時でさえ必ず軾に身を寄せて敬礼した。

子や孫はみな官吏になっていたが、彼らが休暇で石奮のご機嫌うかがいに来た場合でも

石奮は朝廷の礼服を着て会い、相手を名で呼ばず官名で呼んだ。(敬意を表して)


子や孫が過失を犯した場合、石奮は相手を責めず自分が私室に引きこもり

机に向って坐り食事を一切とらなかった。

息子たちは恐懼し過失を犯した者を互いに非難し、

兄弟の最年長の者が過失を犯した者を連れ、肌ぬぎになって石奮の前に出て深く謝罪した。

石奮は罪を犯した者がその非を改めるまで食事をとらなかった。


側に官吏になった子や孫がいるときには、たとえ休息しているときでも決して冠をとらずにいた。

石家の奴隷たちは愉快げで陽気であったが、やはり慎み深かった。


帝が石奮に食事を下賜し家にまで届けさせることがあったが、

石奮は必ず平伏して敬礼し前へにじり出てそれを食べ、天子の前にいる態度と変わらなかった。

誰かの葬儀に参加した時には、悼み悲しむさまは甚だしいものであった。


石家では石奮の教えを受けて、子や孫までもが石奮と同様の態度をとった。

景帝が堅苦しいのを嫌って地方に出した理由がわかるような気がする。


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