第三話:斉の相国


韓信の配下として、まず漢を裏切った魏王豹(ぎおうひょう)を討つこととなった。

韓信は巧妙な策を立て、魏豹は策にまんまとはまった。

曹参は、魏豹を虜にし、魏王の母・妻・子ら、一族を全て捕らえる功を立てた。


魏の次は、趙だった。

張耳を追い出した陳余が支配する土地だった。

劉邦は張耳を韓信の下に派遣し、共に戦わせた。

趙の相国の夏説の軍を打ち破り、捕え斬った。

張耳と韓信は陳余の軍を破り、陳余を斬った。


この功績で、韓信は相国に任命され、配下の将軍達もそれぞれ昇進した。

曹参もこの時、右丞相に昇格した。


その後韓信軍は斉に攻め込み、都を落とした。

その後、項羽が派遣して来た増援軍を散々に破り、総大将の竜且を斬り、武将周蘭を捕らえた。

曹参は斉王の田広を捕え、更に追撃し将軍田既を斬り、将軍田吸をも斬った。

曹参の赫々たる武勲である。


そののち、韓信は劉邦の下に戻り項羽を討ったが、曹参は斉に残り掃討戦を行っていた。

こうやって見ると、曹参はやたらと掃討戦が多いことに気づく。

彭城での60万の漢軍大敗走の後始末や、斉の不服従勢力の後始末は皆、曹参がやっている。

地味な印象を受けるが、彼がいなければ漢軍などとっくの昔に消えていたのである。

じつは、すごい人かもしれない・・・。



項羽は死に、天下は平定された。

韓信は楚王に任命され、蕭何は丞相に任命された。

曹参は右丞相を辞め、平陽(へいよう)の地に10,630戸を領地として授かり、平陽侯となった。

そして、劉邦庶出の長男・劉肥が斉王に任命されるのに及んで、斉の相国に任命された。

大出世である。


しかし、曹参にとって斉の民治は始めてである。

相国になったからといって、特別な政策を持っていたわけでもない。

そこで、斉に住んでいた学者・長老を全て召出し、彼らに人民が安らぐ政策を尋ねた。

斉は儒の盛んな地域であり、学者の中の数百人は儒者だった。

曹参に召出された儒者達は、それぞれに自説を声高に唱え、言うことが皆違った。

曹参は混乱した。


側近の者が、

「この国の膠西(こうせい)の西に葢公(がいこう)という人物がおり、黄老の説に詳しいと聞いておりますが」

と進言した。

曹参は礼を尽くして葢公を招き、民治政策を尋ねた。


葢公 「天下の民は、相次ぐ戦乱で疲弊の極みに達しております。

今はひたすら清らかに静かに政治を行うべきです。

礼を重んじ、民に無用の重圧をかけるのは得策ではありません」

曹参 「なるほど。では、あなたに斉の民治すべてお任せいたします」


こうして曹参は斉丞相の役目を葢公に押し付け、9年間のうのうと酒ばかり飲んでいた。

葢公の政策は時代に合致していたものだったので斉はよく治まり、民は肥え、

労せずして曹参は賢相と称えられたのであった。



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