第四話:二代目漢之丞相


劉邦が死に、恵帝が即位した。

それから二年して、丞相の蕭何が死んだ。

曹参は、そそくさと引越しの準備を始めた。

彼は、自分の家来にこう言った。

「すぐに引越しの準備をしなさい。私は蕭何の後任の丞相になるはずだ」

はたして、数日後、都から使者が来て曹参を召還した。


蕭何は、死の直前に曹参を指名していたのであった。

二人は沛県のしがない公務員だった頃はとても仲がよかった。

が、漢の政治に参加するようになってからは仲たがいをしていた。

『史記』にも「二人の間にはヒビが入っていた」とあり、相当仲が悪かったようだ。

しかし、死にゆく蕭何は曹参を後任に指名し、曹参は指名されることを信じて疑わなかった。

泣ける友情話である。

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曹参は9年間、斉で政治をしてきたわけだが、ある政治哲学を持ったようだ。

いや、もしかしたら沛県で劉邦をかばい続けていた頃からあったかもしれない。

こんな逸話がある。

曹参が都に向かって出立する前に、後任の斉の相国に先輩としてのアドバイスを送った。

「斉の監獄と市場は慎重に扱い、そこで起こる悪事には寛容になるのがよい」

後任の人は、何を言っているのかがサッパリ分からず、

「政治=牢屋+市場なのですか??」

と聞き返した。

曹参は、

「そうではない。市場と監獄は、世の善悪を全て受け入れる場所だ。

監獄と市場には善人も悪人もたくさんいる。

その二つの場所をあまりにもきつく取り締まると、悪人の住む場所がなくなってしまうではないか。

世には善人ばかりがいるわけではない。

そもそも、陳勝や高祖さまが天下を揺るがしたのは、秦が悪人に寛容でなく、異常に厳しかったからだ」

と解説した。

後任の人は深く納得した。


曹参は秦時代、悪人であった劉邦をかばい続け、結果としてその劉邦が秦と項羽を倒した。

劉邦が天下を得たのは、曹参の政治哲学のお蔭だったのかもしれない。


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曹参は漢の二代目丞相に就任すると、蕭何の作った法律や規約にすべて従った。

要するに、無政策だったのである。

役人には、口下手で質朴・重厚な人物を採用し、

口数が多く、名声を求めているような人物は排斥した。

曹参はろくに政務も見ず、毎日毎日、昼も夜も芳醇な酒を飲んでばかりいた。


曹参がただの酔っ払いジジイで全く政務を見ようとしないので、

気鋭の役人達は丞相邸に押しかけて直諫しようとした。

彼らが曹参邸に押しかけると、すでに酒宴が始まっていた。


曹参「おおっ!いいトコに来た。お前らも飲め飲め!!はははは」

役人「曹参どの、今日はあなたを諌めに参ったのです。酒を飲みに来たわけじゃ・・・」

曹参「まあまあまあまあ。いいから座って座って。難しい話は飲んでからでもできるぢゃないか。」

役人「いいですか(怒)!!今日こそはあなたに・・・・ぎゃぁあぁあああ」

曹参「ははは。飲まないなら飲ませるまでよ。さあ、飲め飲め〜〜♪

どうだ、この酒旨いだろ?特上だぞ〜〜。芳醇純米だ〜〜」

役人「(こぽこぽこぽ)ぐはぁ!!何をするのですか!!!!

だいたい、あなたは政務も見ず酒ばかり飲んで・・・・ぎゃぁあああ」


・・・・・・一時間後・・・・・・


役人「あはははははは♪酒はいいな〜〜。曹参どの、もっといい酒ないのですか〜〜?」

曹参「おうおう。その調子よ、その調子!!」・・;


こうして、曹参は諫言者に最後まで発言させたことが無かった。(一部、管理人の勝手解釈入り^^)

どう見ても、ただの酔っ払いジジイである。


しかし、曹参の芳醇な酒の裏には、ちゃんとした政治的意図があった・・・・・・




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