芳醇な酒のうらに隠された真の理由を述べる前に、もう少し曹参のエピソードをお聞きいただきたい。 曹参の家の裏には、役人たちの官舎があった。 そこでは、役人たちが毎晩酒を飲み大声で歌い、非常に騒がしかった。 曹参の部下はこれを嫌い、曹参に実情を知ってもらおうとした。 しかし曹参はアベコベに自分も役人達の輪の中に入り、共に歌ったり喚いたりした。^^; もう一つ、逸話を。 二代目皇帝の恵帝は、相国である曹参が職務を放棄して酒ばかり飲んでいるので、 もしかすると自分のことを軽視しているのでは?と心配でたまらなかった。 そこで、曹参の息子曹(そうちゅつ)を呼び出し、言った。 「君が家に帰ったとき、さりげなく父親に 『あなたは毎日毎日酒ばかり飲んでいますが、丞相の職務をどうなさるのですか? 帝は年若く、お助け申し上げるのが筋ではないのですか? どうやって天下のことを配慮するのです?』 と聞いてみよ。 ただし、朕が言ったと言ってはならぬ。 自身の考えとして丞相に伝えるように」 曹も父親の怠慢ぶりが心配でしょうがなかったので、 帝の言葉に自分の考えを含ませて父親に伝えることにした。 曹は、のんびりと親子水入らずで休んでいるときにそれとなく切り出した。 しかし、曹参は顔色を変えてキレだした。 「お前に、天下の何がわかる!!二度と生意気な口をきくな!!」 それでも怒りが収まらず、息子をムチ打った。 その回数、なんと200回(!)である。 曹は半死半生になった。 ・・・・・・・・・ (ふう、やっと本題に入れる) その後、曹参が参内して恵帝にお目見えした時に、恵帝は曹参を叱った。 恵帝「どうして、を罰したのだ?が相国に述べた意見は、実は私の意見だったのだ」 曹参「申し訳ありませぬ。気づきませんでした。・・・私には、陛下にお聞きしたいことがございます」 恵帝「うむ、申してみよ」 曹参「ご自分で判断なさって、高祖(劉邦)さまと陛下のどちらの才能が優れていると思いますか?」 (おいおい、無礼だなぁ。曹参^^;) 恵帝「うっ。・・・我が父上の高祖さまの方が優れているに決まっているではないか」 曹参「では、私の才能と、蕭何の才能ではどちらが優れていると思いますか?」 恵帝「蕭何の方が優れているかもな。君は蕭何に及ばないのではないか」 曹参「私もそう思います。天下を平定し、これまで維持してこれたのは、 高祖さまと蕭何の力によるものです。今、陛下は高祖さまに遠く及ばず、私は蕭何に遠く及びません。 だから私は蕭何の作った法令を守るほかは無理をせず何もしないのです」 恵帝「ははは。わかったわかった。朕も相国のように何もしなくてもよいのだな」 こうして見てみると、ただグルになって怠けているようにしか見えない。^^; しかし当時、秦の残酷な政治と戦乱に次ぐ戦乱の直後で 民心はすさみ、人民は飢え、みな休息を欲していた。 曹参は、田舎の斉で長い間政治をみていたので、民衆の要望を知っていたのだ。 何もしないことが世情にあった政策であったのだ。 それに、恵帝の母親である呂后の専制政治のせいで、 曹参が自由に政治を出来なかったということもあろう。 曹参は老獪だったので、呂后にも恵帝にも民衆にもウケる政治をしたのだ。 世情に長けた人物であると言える。 ・・・・・・・・・ 民衆が、彼と蕭何の政治を称えて、流行り歌を作った。 ♪♪蕭何は法律を作り、法律は明らかでよく整っている。 曹参は、蕭何のあとを継ぎ、蕭何の法令を遵守して改変しない。 その、清らかで静かな政治のお蔭で、民は安らかで、よくまとまっている♪♪ 芳醇な酒ばかりを飲み、何もしなかったのはやはり善政であったようだ。 曹参は、漢の相国になって3年で死んだ(紀元前190年)。 彼は、民衆に慕われ、その美徳を称えられた。 しかし、よく考えてみると、彼は前任者の名声を横取りしている感がある。 司馬遷も、 「彼は、敵の城を落とし、野戦で敵を打ち破り、多くの戦勲をあげた。 しかし、これほど多くの功績を得られたのは、韓信という名将軍の配下にいたからだ。 韓信が罠に嵌められ死んだ後は、曹参は韓信の分の名声までも独占した」 と述べている。 しかも、曹参は相国になったあと、蕭何のぶんの名声までも独占した感がある。 ・・・・・・・・・ 曹参は、「地味かつ老獪」という不思議な人物である。 その不思議な魅力で漢帝国を盛り立て、軌道に乗せた功績は大きいと言える。 そして彼の才能を発見した劉邦も、やはり一世の英雄と言える。 いや、若い頃、劉邦の才能を見抜いた曹参のほうが一枚上かもしれない。 兎にも角にも、曹参なしでは漢帝国は語れないのである。 |