夏侯嬰(かこうえい)は、漢民族には少ない二字姓である。 中国での二字姓は、「諸葛」「淳于」「公孫」「司馬」「鍾離」「太史」「皇甫」「西門」など数える程しかない。 「夏侯」「太史」「司馬」などの姓は、官名や爵位に由来するのであろうか。 夏侯嬰は、劉邦と同じ沛の出身である。 若くして沛県の下級公務員に抜擢され、廐司御(きゅうしぎょ:沛県庁舎うまや係)になった。 彼は劉邦にベタ惚れしており、 沛県を訪れた役人を馬で送った帰り道には、必ず泗上亭(当時の亭長は劉邦だった)に立ち寄った。 そこで劉邦と語り合い、時が経つのを忘れるくらいだった。 もう、劉邦無しでは生きていけない状態であった。 夏侯嬰はやがて沛県の書記の見習として仮採用されたが、依然として劉邦にベタ惚れだった。 来る日も来る日も劉邦と語り合い、飲み歩いた。 同僚の曹参・任敖なども、劉邦にベタ惚れしていて、飲み仲間であった。 ある日、劉邦が戯れに剣を抜いて夏侯嬰を追いかけた。 夏侯嬰は笑いながら逃げ、二人はじゃれあっていた。いい歳した大人が?・・・ しかし、劉邦の剣が偶然夏侯嬰を傷つけ、夏侯嬰は血だらけになった。 劉邦は、夏侯嬰をほったらかしにして遁走した。 この事件は傷害事件として立件され、夏侯嬰が被害者、劉邦が容疑者として裁判が行われた。 裁判官「劉邦、お前が夏侯嬰を害したというのは本当か?」 劉 邦「いいえ、私は夏侯嬰を傷つけた覚えはありません」 裁判官「なにっ!本当か、夏侯嬰?」 夏侯嬰「はい、私は劉邦どのに害されたのではありません。劉邦どのの言葉に嘘はありません」 裁判官「むうぅ。被害者がそう言うなら、劉邦は無罪だ。(・・・こいつら共謀か?)」 この裁判で劉邦は一旦は無罪になったが、劉邦を嫌う勢力の手によって真実が暴露され、再審が行われた。 真実が暴露された後も夏侯嬰は証言を変えなかった為、ムチで数百回打たれ半死半生になった。 しかし、傾倒していた劉邦の為に最後まで嘘をつき通した。 結果、夏侯嬰が偽証罪で捕まった。 一年間タップリと牢屋にぶち込まれ、証言を変えるようにムチで何度も打たれた。 それでも夏侯嬰は、「劉邦は無罪です」と言い張った。 お蔭で劉邦の無罪が証明??され、劉邦は無罪放免となった。 当時、人の為に死ぬ者を「壮士」と言ったそうだが、夏侯嬰は正にそれに当たるであろう。 |